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一生濁らない神の水

私が物心ついた頃から、

私は、仏壇の水も

神棚の水も鏡も

常に綺麗で濁ったのをみたことがない。

そんな家に育った。

4人兄弟で

両親とおばあちゃんもいる7人家族。

「神様の部屋」と呼ばれていた、神棚のあるお部屋と
逆方向に一位置していた仏壇のある部屋。

どちらをいつみても

濁っているのをみたことがない。

ある時私は神棚を指して、おばあちゃんにこう聞いた。
「どうしてお水、腐っていかないの??」


驚異なる神の力

おばあちゃんは私にこう話した

「神様や仏様は常にみんなを守ってくれる。
ちゃんと守っているよって証拠にお水はいつも綺麗なんだよ」

「じゃあ、お水が腐ったら神様はいなくなっちゃった、って事なの??」

「もしもお水が腐ってしまったら、その時は本当に大事なことに気づく時なんだよ」

「・・・・・神様の力がすごいんだってこと??」

「神様の力はすごいんだよ」

おばあちゃんはそう言って立ち上がった。

当時6歳くらいだった私は、その事がよくわからなかったけど

なんだか怖くなってしまった。
そしてそれ以来、神様の部屋に近づかなくなった。

おばあちゃんのことも

なんだか怖くなってしまって、避けていたのかもしれない。


おばあちゃんの死

私が中学生になって
ますます「おばあちゃん」を避けるようになっていた。

というか、

関心がなかった。

そんなある日、

授業中に担任に呼ばれて廊下でこう言われた

「すぐに帰りなさい。おばあさんが亡くなったそうだ」


自宅に帰ると

母や父はいなくて、

兄たちがいた。

バタバタした家。

初めて身近な人が亡くなった日だった。


親に言われるままに
喪服だの
葬式だのをして、
それでもまだなんだかおばあちゃんが亡くなった、という実感のない自分

「学校は、兄たちもみんなが休んでいる。普段仕事でいない父がいる」
それが私には「非日常」でなんだかどこか遠足気分だった。

近所の人や親戚やらがどんどん出入りして、
非日常的なひが1週間ほど続いた


解き明かされた神の力


もうしばらく入ってなかった

「神様の部屋」

おばあちゃんが亡くなってから
1週間後に久しぶりに入った。

なんら変わらない部屋。

しかしそこにあった神棚の水は濁って、半分に減っていた。

「あ❗️」

一気に私の中に蘇ってきたおばあちゃんとの会話。

同時全身に鳥肌が立ったと同時に涙が溢れた。

「本当に大事な事・・・・」

あれから

あれから数十年の歳月が流れた。

大好きだった母もおばあちゃんの死から10年後に他界してしまった。

当時の神棚も仏壇も、
いまは私が毎日欠かさずに水を変えている。

毎日誰かが朝、当たり前のように起きて、

欠かさずにやってくれている事がある。

それがどれだけ私たちの日常に安心感を与え、
どれだけ愛のある存在なのか

「ねえ、ママ。どうして神様のお掃除するの??僕もやる」

そう言っていた息子ももう大きくなり、

かったるそうに朝起きては、文句ばかり言っている。

私は欠かさずに毎日水を変える。

これがお母さんが毎日あなたを見守っている証拠。

誰かがいるのが当たり前でも、

その誰かは必ずいなくなる日が来る事。

「普通」のありがたさと、
何げない「いつも通り」の偉大さ。

これが私が家族と一緒に迎える朝の
大事な感謝の行動。

水が濁らないように

いつまでも元気でいなきゃって思う。

神様の力がどれだけ偉大なのか。

私にはよくわかっているから。
「ちゃんと守っているよ」
そう思いながら。



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