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映画「ノマドランド」

ノマドランドを観てきました。

内容はこんな感じです。

企業の破たんと共に、長年住み慣れたネバタ州の住居も失ったファーンは、キャンピングカーに亡き夫との思い出を詰め込んで、〈現代のノマド=遊牧民〉として、季節労働の現場を渡り歩く。その日、その日を懸命に乗り越えながら、往く先々で出会うノマドたちとの心の交流と共に、誇りを持った彼女の自由な旅は続いていく──。

アマゾンの倉庫や、自然公園での季節労働をしながら夜はキャンピングカーのベッドに横たわる主人公ファーン、決して若いとは言えない彼女にはなんとも過酷な生活です。しかし、その事をうっかり忘れてしまうほど、映画に映し出されるアメリカ西部の大自然は美しく、全ての人々を悠久の時に包み込んでいるのです。音楽も素晴らしい。そして、同じように自由な生き方をしているノマド達との交流で交わされる言葉もなんとも示唆的で、生きることの意味を観ている私に問いかけてきました。

映画の原作が『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』   というノンフィクションであることを考えると、本当は手放しに彼らの生き方を肯定するわけにもいきません。社会が生み出している負の側面にも時々思いがよぎりました。

まとまりもつかないまま、いろんな感情を揺さぶられつつ映画が終わりました。そして、映画を観た私の心にいつまでも残っているのは、主人公ファーンの表情です。自由で何ものにも縛られない生き方を選んでいるように見えるファーンが、実はとらわれているものがあるのを私は感じました。

「父が言っていた。思い出は生き続けると。でも、私の場合思い出を引きずり過ぎたかも。」

彼女は夫や家族の思い出の中に生きているのです。だから、出会った人がどんなに温かく受け入れてくれても、彼女はキャンピングカーに戻っていく…。なんとも切なく、つらくなりました。そういう気持ちになることは、私も想像できるのです。自分もそうなるんじゃないかなぁと、何となく思いました。

予告編の最後は「希望は路上にある…」という言葉で締めくくられています。

路上で会った人たちと

「さよならは言わない。また会えるから」

希望があるとしたら、また会えると信じて生きることなのでしょうか。



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