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退職して1か月後の頃【音声と文章】

山田ゆり
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今回は、こちらのnoteの続きになります。
↓「私は税のプロになる」根拠のない自信がなぜかあった

https://note.com/tukuda/n/n591966513995



「私は税理士事務所に勤めながら税理士になる。」
そのような大志を抱いてのり子は11年間勤めた会社を円満退職した。


のり子には「税のプロになる」、その夢でいっぱいだった。自分はなれるとなぜか思っていた。



在職中から通っていたビジネススクールは退職後も続けていた。
夜間の税務会計とPCの講義のために寝台列車に乗り通った。


他に在職中に独学で秘書検定2級を取得していた。
尊敬できる上司のもとで、上司が本来の仕事に専念できるように雑事を請け負うのが秘書の仕事だ。
将来、この資格で得た知識をもとに上司の補佐もしたいとのり子は思っていたからである。

秘書検定の通信教育はたくさんあるが、のり子は参考書と問題集だけで、2級を取得した。もともと、事務系が好きだったのり子にとって秘書検定で出される問題は簡単なものだった。


のり子は退職後、自由な時間ができたため、ワープロも習うことを決め、ワープロ教室にも通うようになった。


1995年にWindows95が発売され、一気にPCが一般的なものになったが、それまではワープロの時代だった。


のり子は以前からワープロを独自に使いこなしていて、在職中は上司に頼まれてワープロで書類を作成していた。

これからの時代は手書きが少なくなる。だからワープロを極めたい、のり子はそう思っていた。

そして、ワープロ教室に通うのなら検定合格を目指そうと思った。

独学でワープロを始める際、「入力は英字入力の方がいい」と書物に書いていたからのり子は英字入力のブラインドタッチを身につけた。

だからワープロ教室に入った時、ブラインドタッチは既にできていた。


意気込んでワープロ教室に入ってみたら「上の級を目指すなら、ひらがな入力でなければいけない」と先生に言われ、頑張って身につけた英字入力を捨て、その日からひらがな入力に切り替えた。


せっかくキーを見ないですらすらと英字入力ができるまでになったのに、ひらがな入力に切り替えたのり子は、頭の中が混乱しフラストレーションがたまり、慣れるまでは泣きたい気持ちだった。

こんな思いをするのなら英字入力に戻りたい。
しかし、ひらがな入力の方を先生は推奨しているのだからそれに従おう。

惑いと混乱の一か月が過ぎた頃、やっとひらがな入力のブラインドタッチができるようになった。

そして数か月後、ワープロ2級まで取得した。





税務会計・PC・ワープロ・秘書検定、それぞれを愚直に続けていた頃、のり子の弟が体調不良になっていた。


のり子の弟は馬鹿が付くほど野球やその他のスポーツが好きな人だった。
小学校から野球をしていて、現在は社会人野球のチームに所属している。


野球で鍛えられた体は筋肉質で、勤めている新聞社に転職した際の社内報には「趣味は身体を鍛えること」と書かれているように、とにかく身体を動かすことが好きだった。

弟は話が上手で友達はとても多かった。いつでも弟の部屋に友達が集まりワイワイがやがや笑い声が絶えなかった。


弟の休日は友達と一緒に野球は勿論、バスケ、卓球、駅伝、スキー、キャンプなどいつもイベントがあり友達と遊んでいた。


誠実で爽やかで話が面白い。
今振り返ると弟は、のり子の理想の男性像だったのかもしれない。


「普通の結婚式場では招待客が入りきらないから俺の結婚式は市営球場でやるんだ。」と弟は言っていた。


弟は新聞社に転職し、最初の一年間は総務部に配属になり、社長の運転手をしていた。

休日でも夜の飲食接待に出かける社長の運転手を務めることもあり、仕事柄、弟にはほとんど休みが無かった。

そして、貴重な休日はほとんど友人たちとスポーツをしたりキャンプをしたりしていた。

人の悪口やマイナスな言葉をいう弟ではなかったが、「もう少しまともな休みが欲しい」とのり子に漏らしたことがあった。


だからほぼ休みがない弟の身体を心配していた。

弟は一年後に広告部に人事異動になり、やっと社長の運転手を卒業できた。

それからは普通の社員と同じ休日が与えられた。


のり子が退職して1か月頃、弟は不眠を訴えるようになった。
社長の運転手を卒業して1年が経った頃である。


身体は疲れているのに眠ることができない。
弟は街の病院で診てもらうが「どこも悪くない」と言われた。

別の病院で診てもらうと「分からない」と言われた。


どこも悪くないと言われても弟は眠れない症状が続いた。


そんな弟にのり子は
「どうせ見てもらうんだったら大学病院で診てもらったら」とアドバイスした。

地元では一番の病院である。
そこで診てもらったら絶対原因が分かるからと思った。


そして弟が大学病院を受診した数日後に、家の電話が鳴った。
たまたま自宅にいたのり子が電話の受話器をとった。


それは大学病院の先生からの電話だった。




長くなりましたので続きは次回にいたします。




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~退職して1か月後の頃~
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