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「それ、要らない」って言えない(ショートショート)【音声と文章】

山田ゆり
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「あぁ、まただ」
のり子は残念な気持ちになった。


夕刻になり女性社員は事務所の片づけを始める時間になった。
のり子は今週、共有の手拭きのタオルを洗う係になっていた。

朝、汚れたタオルを回収し、洗剤とお湯を入れた大きな洗面器の中にタオルを浸しておく。

そして日中の自分の都合の良い時にそれらを洗って乾かすことになっている。

のり子は日中、気が向いた時にそれをしていた。
今日は仕事が充実していてそれは夕方の片づけの時にしようと思っていた。


しかし、片づけの時間になり給湯室に行くと洗面器は既に片付けられていた。

隣の部屋を見るとタオルがハンガーに掛けられている。

「まただ。」

のり子は一瞬、怒りが湧いてきたがすぐにその火消しにまわった。
怒ってはいけない。相手は善意でやって下さったのだから。


そのタオルは同僚のA子さんが洗ったのである。

A子さんは洗面器に入れてあるタオルを「好意」のつもりで洗っているのだ。

「それ、しないで。それは今週、自分の役割なんだから。」
そう、ひと言、言えば済むことなのだがのり子は言えない。


棘のある言い方をしてA子さんを傷つけたらどうしよう。
そう思うと言えないのである。
気の小さい、勇気がないのり子なのだ。

A子さんはたぶん、忙しそうにしているのり子の代わりに洗ってあげていると思っている。
しかしそれはのり子にとって余計なお世話なのである。



仕事中にタオルを洗うことがのり子は嫌いではないのだ。

洗剤を付けてタオルを揉んでいるとみるみる白くなっていくその過程がのり子は好きなのだ。

絞った直後のタオルは生地がこわばっている。
しかし、絞ったタオルを広げてバフッ、バフッと振るとタオルのひとつひとつのループが立ってくる。するとタオルがふんわりと乾くのだ。
その出来栄えを感じたくてタオル洗いが楽しみなのである。

日中にそれをするのは気分転換になり、のり子はある意味タオルの当番の週を楽しみにしているのだ。


「それ、やらないで」
「それ、要らないから」
「はっきり言って、それ、余計なお世話なんだから」
「私、タオルを洗うのを楽しみにしているの」

普段あまり人と話をすることが少ないのり子は、A子さんを傷つけない言い方をする自信がないのだ。

たったこれだけのことなのに、言えない小心者ののり子なのである。


A子さんにそのタオルのことを言えないのには別の理由もあった。

どちらかというと、そちらの方の理由が大きいかもしれない。




A子さんはなぜか上長からのウケが悪い。
A子さんが上長に話をしようとそろりそろりと近寄って行くと
A子さんが声を発する前に上長は
「何!」っと、キッとなって言う。


話す前からそういう態度をとられるからA子さんはついオドオドしてしまう。
その自信のなさが更に上長をイラつかせるようだ。

二人のやり取りがBGMも何もない事務所内で聞こえる。聞きたくなくても聞こえてくる。


棘のある上長の言葉と、しどろもどろになっているA子さんの声。


猛獣に睨まれたネズミの構図。
上長は必要以上にA子さんに毒を吐く。
そんなA子さんをのり子は気の毒に思うのだ。

上長の毒にやられたA子さんはショボショボと自分の席に戻る。
事務所内は相変わらずPCを打つ音だけがしている。



「いくら何でもあの言い方はないだろう」
恐らく普通の人だったらそう思うだろう。

こんな時、A子さんの自己重要感はゼロになっているかもしれないと、のり子は心配になるのだ。


そんなA子さんはタオル洗いなど、雑用を積極的にしてくださっている。
タオルを洗うことで間接的に会社に尽くしていると思いたいのではないかとA子の心中をのり子は察する。


だから、のり子のタオルを勝手に洗われてものり子はA子さんに「それ、やらないで」と直球を投げられないのだ。


それではタオルを洗うことを全てA子さんに任せてしまえばいい。
ここまでお聴きのあなたはそう思うかもしれない。



しかし、いろいろな雑用をしてくださるA子さんに更に雑用をお任せするのは傲慢だとのり子は思うのだ。

誰か一人に雑用が偏らないためにいろいろな係を決めているのに、結局一人に偏ってしまうのは、のり子としては心外なのである。


のり子としてもちょっとした気分転換の理由になるタオル洗いは、嫌いではない雑用である。



「気持ちは分かるがやらないで」

それをどう言えばいいのか、そんなちょっとした言葉選びにも躊躇する小心者ののり子である。







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「それ、要らない」って言えない(ショートショート)

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