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閉店時間のお客さん

食堂には、ときどき営業時間以外にもお客さんが来ることがある。
人通りの多い日中が苦手なUさんは、早朝に朝ごはんを食べに来る。
朝ごはんといっても、まだ食事の支度はできていないので、食べるのは昨日の残りの冷凍ごはんとキムチ納豆である。それでもUさんは「今日も愛情をありがとう!」と言って帰っていく。彼の後ろ姿を見送りながら「料理は一手間が愛情ってあれ、嘘だな…」と思いながらも、さわやかな「ありがとう」に心が軽くなる。

Sさんは閉店後の夕暮れの時間にふらりと食堂にやってくる。音もなく入ってきては客席の隅に静かに座っているので、最初は彼女の存在に気づかず、びっくりして何度大声をあげたかわからない。Sさんは何をするわけでも、何を喋るわけでもなく、そこにいる。時々ふと、「今日は肉じゃがだったんですか、いいですね」とつぶやいたりして、わたしが片付けを終えるまで待っている。「今日は仕事どうでしたか?」と私が聞くと、「今日もいつもと変わらずでしたよ。でも、普通なのがありがたいですよね」とSさんは笑った。

坂の上にある食堂の駐車場からは街が一望できる。青空の下に、色とりどりの屋根が広がる。

「屋根の数だけ問題がある」と誰かが言っていたのを聞いた時、本当にそうだなぁと思った。人知れずアパートの部屋の中で闘っているUさんがいて、なんでもない一日がありがたいというSさんがいる。そして、そんな彼らにどこかで支えられている私がいる。それぞれの人生の物語があり、その中には、幸せなページだけではなくて、読み飛ばしてしまいたいようなページも含まれているかもしれない。それぞれの苦労があり、孤独がある。

こんな部屋の片隅に、
こんな世界の片隅に、
届く言葉があるのなら
それはどんな言葉なのだというのだろう。

朝になり、空気が澄んでゆく。
透き通った冬の空と、色とりどりの屋根の間に小さな白い十字架が見えた。
もうすぐ、クリスマスである。

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