私は守られた子供ではなかった。いつも今日という現実に怯えていた。私には何が幸せというものなのかすら分からなかった。それでも不透明な幸せをひたすら願っていた。それは今も変わらない。すべてが嘘ならいいと思う現実にぽつりと立っている。

小学生のうちに日常生活で自分を取り繕うことは自然に覚え、中学生になるころには傷ついていないふりも、強いふりも、何度でも平気で出来た。本当は全然平気ではなかった。いつだって助けを求めていた。けれど、私にとっての具体的な助けが何なのか 当時の私には分からなかった。今なら少しだけ分かる。いつでも側にいて必ず私を守ってくれるやさしさ。私は、こんなにも愛されているんだという満たされた気持ち、安心感。誰でもいい、私の傷だらけで寂しくて、心細い気持ちに気付いてほしかった。私には大げさで、貴重な愛がたくさん必要だったのだ。

結局 誰にも与えてもらう事がないまま 私は歳をとった。私の最大の不幸は、私だけに向けられた無償の愛を知らない事なのだろうと思う。

私は忘れる事が出来ない過去を引きずり、いまだ ふてくされたままの感情を持て余している。私にも悪意、差別、偏見があり、私を傷つけてきた他者と、何ら変わりは無い。その事実にさえ傷ついてしまう。完璧な自分を求めてしまう。歳をとり、今は挨拶も愛想笑いも出来る。けれど私は怖い。社会的に孤立すること。生きることへの不安や疑問。答えの出ない事にとらわれたまま 今もこうして生きていること。ただただ怯えていること。私は今でも助けを求めている。身動きひとつしないまま傲慢に。ただただ待っている。

そんな自分をけなしてもいる。

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