久々に家に帰ってきたらウチのアパートが我が家を除いてすべての世帯が引っ越ししていた、4戸しかないボロいアパートだから無理もないんだけど、お隣さんのクソガキとか、奥さんとか、知らない間に居なくなっていることに寂しさとは違うなにか変わってしまった些細な変化を感じてしまった(実際変わったわけだし)

こんな些細な変化とか気にも止めなかったはずなのに旅から帰ってきてどうもおかしい、些細な事に神経張り巡らせている、独自の価値観のもと。それがいるかどうかも今のところわからないから無駄に体力削っている気がしないこともない。

とはいえ、おかげさまでこの寝付けない夜は外の階段に座って本を読んだり、煙草を吸ったり今夜でいったらお酒を飲みながら歌詞を書いている。誰にも見られない事が重要で、詩を書くというのは自分にとって完全に1人にならないと書けない事が多い。

夜は静寂を作ってくれる、日々のお日様とは違う優しさがあると思っている。踊り子なら夜にきっと月明かりで踊っているとおもう。

お酒全然のめなかったのに最近はずっと飲んでる。アルコールが程よく気持ちいい、お客さんからもらったウイスキーを薄く割って飲んでる。ウイスキーなんて大人ですね、って話をして君はもう大人でしょって言われてそうだったそうだった。でもさ、僕が思い描いている大人には立派にまれてなくて、どうしたらいいんでしょうねって今はお酒に聞いてる気がする。


1人でどこまでもいける気がして、今はもう後ろを振り返るより固い意志で突き進みたいと思う。1人で見て見たかったものは沢山ある。

屋久島の森、ヨーロッパにも行ってみたい、サンタの故郷にも行ってみたいし、綺麗な海がある港町にも行ってみたい。それでもいつも想像する世界に誰かがいるわけではなかった、1人で到達している世界を想像している。でも僕は知っている、1人では到達できないところもあるということを。


そんな切っては捨てなんて両極端な考えじゃなくていいじゃないですかと人に言われて、どうしても納得できなかった。でも実際そうなけで、運が良くてまた出会うみたいな神頼みを期待するほど人生に余裕を持てない、いつも気持ちを追い込んでる、僕にとってそれこそが大事にしていくなんてきっと誰にも理解はしてもらえないしそれを願ってもいないからいいんだけど、でもさよく考えて、そのギリギリのラインを沿って生きていくことに、その行為にしがみついているだけなのかもなって最近思った。結局は大事なモノとか人とか、思いとか、そういうのから順番つけてるだけな気がして揺らいだ、だからもう少し1人で歩きたい、誰といたってそれは変わらない。交われない瞬間がある限り。



ここ最近、色々な人話た、琴音とか、あきなとか、宗さん、ウエストポイントのユーキャンさん、なおきさん。

みんなに愛情を貰ってる。言われている事がどれも一つの結論に辿り着いている気がして、注意深く選別している、これを逃したらもう終わりな気がして。考えすぎとは思わない、旅を続けたい、そのためには自分が思い描く人間にはやくなりたい。


行き着いた先に、そこにあるものは人なのか。そうは今は思えなくて、ミュージックが佇んでいる気がする。もう振り切って歩いていいんだよって言われた気がして、今は歩いていける。


突然いなくなってしまうことだってこれから先あるだろう、でも音楽だけは手放せないな、なにをうしなってもさ。高みに登りたい、はやく新しい音楽が見える世界に。


今日も思考がぐるんとしている


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