蒔いていく

わかったような言葉をわかったようにこれがほしいんでしょ、これならこっち見るんでしょっと書く文章が未だに納得できていない。本当にニュアンスの話、書いた時にしこりが残る言葉やその違和感は未だに拭えない。別に世間様がどのような歌を描こうが作ろうが正直そんなに興味はなくて、違和感があったとしてもまぁそんなもんだろうと納得ができるのだがことさら自分の曲には未だにそれがあまりできない。

一応そんな曲がある、見るからに反応が違う。そこに深い意味も思想もないものがそんなに良いのか、使いまわしたようなメロディで流行りの言葉を使えば人の心を動かせてしまうのはちょっと違う気がしている、それは一時的なもので廃れるものを消費していくだけの期限付きの商品へと変えてしまう効果がある気がする。

でもきっとみなそんな事を音楽に求めていないのかもしれない、ポップミュージックというのは月日の積み重ねや人の目に触れる機会が増えれば増えるほど輝きだす、ポップミュージックのすごくいいところ。

自分はそうであっていいのだろうか、信念や思想が邪魔をしているだけなのだろうか。なにもないのに穴を掘って宝探しをしているような感覚だ。

自分の意識と他人の意識の境目が存在するはずで、ずっとそれを探している。もっと深く呼吸して深い深い部分に潜っていかなければいけないのに呼吸が続かない、浅瀬まできて微かに海溝で煌めく光だけ見えている。見えてはいるのにそれを言葉にしたりカタチにできない。それとそれが正解なのかわからないから不正解を創ってしまった時誰もが自分への興味を無くして、もしくは迷走していると愛想を尽かされるんじゃないかと怖くてしかたない。もう随分だれかを裏切ってきた気がするのにここらで次の一手で決めないともう二度と浮上できない気がしている。さっきいっていた境目に近づく方法は無様な姿を晒してでも手探りでやらないといけないということなんだと思う。こればっかりが怖い、もう本当に怖いんだ。だって散々無様な姿晒してきたのにそのうえまだ実験的体験をして醜態を晒さなければいけないリスクがあるのかと思うとほとほと自分自身に愛想つかしたくなる。勘弁してくれ。


それでも今はやるしかない、まずは小さなカタチでもいいから思いつくものを言語化して歌にして音楽にして発表しなくちゃ。そんな安売りはしたくない、けれど境界線を知りたい、はやくあの光の近くに行きたい。誰も答えを教えてはくれない、自分自身が納得するまで繰り返す。

今はまだその種を蒔く日々を。

よろしければサポートをお願いします。 活動資金にはなりますが、音源製作に役立てます!