6月26日

深夜突然すき焼きをつくった。

日々はなんとなくすぎていく
自由を捧げた代償は高価。
お金や安心と一緒に
ぼんやりと自分の境界線が
なくなっていくようだ。

バンドというものをはじめた。
俺たちのバンドが掲げているのは
ずっと続けるバンドってのがテーマ。
終わり際が美しいバンドは確かに存在する。
出し尽くして
全員が納得して
自ら終わらせた
そういったバンドの最後は美しい。
でも、よくわからない内部のゴタゴタを
綺麗な感じでツラツラと並べて
解散するバンドはダサい。
今までステージで本心のように語って、
歌って、音楽を鳴らしてきた
なんてぬかしてた癖に
最後には馬鹿ダサい無責任極まりなく、
抽象的かつ曖昧な言葉を添えて締めくくった
終わり方をしたバンドが最近いた。

やっぱりダサくはなりたくないと思った。
ボーカルのやつの無責任さ具合ときたら
ゴミ以下だった。
あの人にとってバンドは
インスタントなんだと思う。

人のことを思ってとか
弱者の味方でいるとか
抜かすやつだったが
平凡に生きてる人
淡々と生きてる人に
強い憎しみを持ってる。
本音でぶつかり合いたいみたいなことを
簡単に抜かすが、言葉を選ばない暴力を
受けている人をたくさんみた。
優しさを履き違える子供みたいな言動に毎度うんざりする、みんなの前で言えないことを
自分が調子がいい時に
共有してる時間や環境も関係なく
無差別に言葉の暴力を振るってくる。
尖ってるつもりだろうけど
それがまた滑稽で、履き違えてる。


あのタイプのワガママは哀れなほどに、
ずっと独りだ。
本当の意味で独りだ、
時折同情してしまうほどの。
誰といても悲しいよね
だから、パーソナルな自分語りが
増えたんだね。
誰かがその背中をついてきてるようで
まったく根付かないことに
気づいても誤魔化そうとして
くだらないですね。

本音まみれにしてる風が
なによりも傷つかないようにしてるようで、
どうにかしてあげたいけれど、
それは無理で。
どうにかしてあげたいという想いは
非常に傲慢でしかない。

本質に近づけていないのに
何周も同じところをまわって
滑稽なうたうたいもいた気がする。

もう今はそんなのどうでもいい
諭すこともできやしないし
その労力は大変だ。
それにそれも彼等のやり方なら
認めてあげるほかない
自分のやり方と
違う者を違うから道を変えろとは
表現の世界では言えない。

ただ"そうはなりたくない"が
3人とも一緒だった。

俺等は遠い街の遠距離バンドだ。
それを言い訳にしない。
毎月のスタジオはあるけれど
過度なスケジュールなどの
無理を積み重ねない。
メンバーが揃わない時にやれることなんて
山ほどある。

長く続く音楽を掲げたけど
不安がないわけじゃない。
でも、3人でやりたいと決めて、
長い道を歩くと話し合って
今出した答えは作り続けよう
ゆっくりでも。という言葉だった。
途中投げ出さない
放棄しない、自然消滅させない。

時間はかかるかもしれないけど
いい音楽と思うものをつくって
人前でやるならそれ相応の鍛錬を積もう。

難しいことばかりじゃない。

でもまだ動きはじめたばかりだ。
わからないことばかり。まだ大きな転換期になるような困難にはぶち当たってない。
それは必ずくる、その時にどう自分が言葉を吐けるのか、どう考えているのか。
先のことがたまに怖くなる、でも歩きはじめたわけだし当たり前だ。
なにも動かなかったら、なにもない。

とはいえ、自分らのペースでさせてもらってる。

自分の生活も、音楽も。

ダサいバンドを引き合いにして、自分たちは違うというのもどんなものかと思うけど、ここくらいは本音でもいいと思う。

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