2月2日

日常にあったものが、前は馴染まなくてどこかむず痒くて。
例えばそれを幸せと呼んでしまってもいいのか、それを手にした日から手放せなくなる自分がとても怖くていつも拒んでいた気がする。

だからこそ、そういう思いをしたくないと考えていたのに繰り返していた気がする。

大阪、窓辺からみえる知らない街の風景が馴染んでいたはずなのにどこかぎこちなく感じた。いつもお世話になっていたライブハウスの扉はしまっていた。かわりにその店から勇退した人のお店に足を運んでゆっくりとお酒をのんだ。そこにあったものが無くなってしまったらまた違う何かが埋まる。

それでいいはずなのに、まだ真新しい匂いや風景に寂しさを感じてしまっていた。嫌いでもなんでもなくて、俺はかつてのなにかしを心底愛していたんだなと思った。

アトリ、とても好きなお店だった。たまらなく。

少しだけ、周辺を歩いた。どこかしに人が生きている。当たり前だけど行き交う人々にはそれぞれの営みがある。街の通りにどこかの家の夕飯の匂いがする、カレーの匂いだ。どこかとてつもなく懐かしくなる。僕のことを誰もしらない街なのに、なにか帰ってきたような気になる。

もう腰をおろして座り込んでしまおうかな。最近はずっと装備を身につけ立ちっぱなしのような気がする。

自分でもうまく説明できない状況が増えた、今までとはなにもかも違ってその変化を受け入れますって顔してたけどどうやらそれは難しいみたいで、蕁麻疹がでるような気持ちでいる。

最近は無理やりにでも本のページをひらくようにしている、そうじゃないと多分ページは進まない。重い腰をあげていつでも本気をだせるという感じじゃよくない気がしたから、もっと必死になってやってみる。

いつもの悪い癖で、無理やりにでも予定をいれてみる。そうじゃない日以外はとても呼吸がしにくい。

ライブを祈りのようになにかに重ね合わせてみる。それもなにか偶像崇拝てきな感じがして居心地が悪い。どこまでいっても狂信的にはもうなれない。

不恰好でとても恥ずかしい、恥ずかしくていたたまれない。
愛や希望を歌えない、とてもおおっぴろげた言葉をだせない。
でも世の中は決定的に、脳死のような希望や単純明快な愛、性が匂う恋をほっしていることに順応しようとして気づかないふりして小さく絶望している。

もっと書きたいことがあるのにそれでは飯が食えない。それでも立ち止まるよりかはマシだとペンを走らせるも苦しいもんで止まる。
ぼーっとしている時間はなによりも無駄。多分その時間は死んでいるも同義なんだと思う。

まとまらないけど、超えたとおもった日々の先にもまた違う悩みの種が落ちている。困ったもんだ。

夕飯を作る気力がなくてベットに横になる、積もり積もった洋服たちを洗濯しなければいけないのに体が動かない。こんなんじゃダメなのにな。

また無理やりページをひらく。

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