多分大殺界のせい

1993年11月5日火星人+は6月から8月まで大殺界らしいです(厳密にいうと7月が大殺界)

忙しない日々をすごしながら、だいたい1日に良くない出来事が1回はかならずおこる、3月〜5月はとくに3カ月連続企画の準備とか今回のツアースケジュール組んだりとか、1人でやって付け加えてうわー今は勘弁してくださいと言いたくなるような後回しにしてきた事が一気にきたり、それ故に結果をはやくださなきゃと焦って失敗したり。5月終わったらすこし楽になるかな〜って思い占いを見てみると大殺界って、これ以上は流石にキツイ、もう無理お手上げだ。っということで、どうにかこうにか精神的に死なないように、策を練った結果「大殺界やからしかたない」を何か起きたら付け加えるようにしようと考えた。大殺界やもん、そりゃもう七転八倒がお約束された日々よ、どんまいくらいに考えて楽天的思考になればちょっとくらい楽になるかなって思った。

6月1日からびっちりといまのところマジか、と思うようなとんでもない出来事が続いてる。過去に好きだった女の子に彼氏ができた事を知りたくもないのに風の噂できいたり、片目の視力が落ちたりとか、携帯壊れたりとか、サッカーボールが飛んできたりとか、修羅場みたいならところに鉢合わせたりとか、もう様々。これはいかんぞ、流石大殺界だ、このままでは心か身体どちらか確実にしんでしまうと思い、パワースポットを求め車でふらふらと川沿いを走らせていたらとある場所に辿り着いた。

筑後川沿いにある、久留米の水天宮さん。
じつは花火大会のときくらいしかここに来たことなかった(なんなら夕方から夜までしか行ったことないからこんな明るい時間帯に行くこと事態がはじめて)。そもそも神社は好きだ、近所の神社には小学生から良くいくし凛としたあの空気感だったり風で大木の木々が揺れる音が好きだった。それから休みがあるたびにここで1人ぽけっとするようになった。

15:00〜くらいが今の時期は丁度いい、風が涼しいし、川沿いのウォーキングロードではランナーだったりおばちゃんがだいたい走ってるし、たまに地元の小学生が遊んでたり、川で釣りをしてたり、誰もお互いを干渉しあわない、みんな好きなところでお互いのパーソナルスペースにはいりこまない距離で自分の時間を生きているから居心地が良かった。陽が落ちる頃筑後川に落ちていくような夕暮れを見る、神社の大木から漏れる橙色の木漏れ日が綺麗で好きだ。ここでたまにギターを爪弾いたり、借りた本を読んだり、ノートに言葉を書いたり、曲を作ったり。今まで以上に作業がすごく好きな時間として成り立っているし、業務的なやらなければっといった感じにならなくてすごく捗る。

少しだけ、ノートに自分が「振り返って思っていた事」を書いた。いままで文字に残すのが恐かった、だって例えば「じゃあ結局現状実ったこと、叶ったこと、果たしたこと、結果、成果、そういったものはなにがあるの?」って真夜中によく考えるんだけど、24年の人生でやった実ったぞ!と思うこと0、結果はもしかしたらあったかもしれないけれどその結果をうみだすために失った物のほうが多いから結局マイナスじゃん。など、数えはじめて認めたくないって気持ちと、途方もなく選択肢を間違い続けてるんだなとか、あっ結局多分自分1人でしか生きてけない人生なんだとか、とにかくマイナスな気持ちで頭の中がゴワゴワになる。だから、文字に起こせなかった。それをちゃんと文字にした。勿論結論としてはさっき書いたように実りナシの人生って事を改めて実感したし、それに伴って弱気になって起きたふらふらした出来事だったり、あぁ自分めっちゃワガママだったなぁということもわかった。だけどちゃんとプラスの事もちゃんと見つけれた。僕は好きな人の好きになろうとする(LoveでもLikeでも)、要するに自信がないからその人に好かれたいが為に自分の色を合わせにいっていたんだなって事を見つけれた。それってきっと必ずしもダメなことじゃないのかもしれないけど僕の場合根っ子から染まろうとするんだなって思った。僕だって揺れ動いてる間触れれるものがあるのら揺れ動いて生きたいけど、僕は、僕は多分それじゃダメなんだなって、多分芯をどんどん太くしていって触れてもらえるようにならないと揺れの幅が大きいし元に戻らんしぐちゃぐちゃな歪な形になって、夜眠れなくなってしまうんだろうなって思った。そして結局その揺れてる間のみ触れられていれるが故に自分を見失うんだなって、あぁそういえば写真家のあおさんに「貴方はいい加減貴方自身でいることを自信と誇りをもちなさい」って言ってくれてたのこういう事だったのかなって、点と点が繋がって線になったような気がした。

文字を書く前は「貴方らしくいなさい」という言葉に少しも、少したりとも理解できなかった。だって今あるこの現状は、結果は僕であるからうまれた結果でそれが失敗続きなら僕ダメじゃん、今の自分なんてさっさと消え去って新しい自分を迎え入れたい、じゃないともうそんなに時間はないって思ってた。でも文字にしたらなるほどそういうことかってやっと理解したように思えた。落とし所をやっとみつけれた感じだ。

じゃあ僕はどう進んでいくんだろう、って考えたらやっぱり過去もなかったことにしないで今の自分も過去の自分も忘れずに、水天宮の大木の幹のように太く長くドッシリと自分を作っていかないといけないんだなって思った。ブレずに生きる事は想像以上に大変、僕は人の目が気になってしかたないから。きっとまたこうやって考えてはいるもののまた見失ってしまう時がくるんだと思う、新たな難題に立ち止まってしまって。でもそれは仕方ないから、またこうやって思考の整理をちゃんとする作業をしよう。なんだろう大殺界だけどなにか見つけてしまったし、新しい曲もできたし、忘れたかった事も綺麗さっぱりいつのまにか忘れれてるじゃんか大殺界ってもしかしたら一回挑戦とか新しいことするのはやめてちゃんと止まって考えなさいっていう時期なのかな?なんてね。


今ちゃんと立ててる?僕はちゃんと立つ。
きっとこんな事を考えてしまうのも書いてしまうのも大殺界のせいなんだと今は思っておくことにしたい。


2018.6.9 tuna

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