見出し画像

行き先は

先日久々にgrafでライブをした。
対バン相手がみんな10代で、すごく不恰好ながらエネルギーのあるライブをしていた。

壁を取っ払われて久しく出入りすることがなくなったgrafというライブハウス
ここに初めて来たのは久留米のThe other side of Urgeというバンドを見に来たのが始まりだった。
右も左もわからなくて、友達のライブをたまに見に行く程度だった自分にとって初めてインディーズシーンで生きているバンドを目撃したのだ。
轟音に、シャウト、詩も英語だから何を言っているのかわからない。でも沸々と血液が湧き上がってくるような高揚感と、暴れまわって気持ちよくデカイ音を浴びせてくれるステージの奏者に軽く自分の中のナニカを照らし合わせて思わず腕を振り上げたり。

僕にとってアレが福岡市内でみる初めてのライブだった。

そうしていつのまにか、自分は弾き語りというジャンルにいる人間なのにひたすらにライブハウスで活動していった。ライブバー、ライブスペースといわれる小規模なハコで活動し始めたのは実を言うと割と最近になっての話だ。

とにかくカッコよかった、憧れがあった。いつかあんな風になんて思い浮かべながらガムシャラに活動していった。

同じように同じ志をもった仲間ができていった、打ち上げで死ぬ程飲まされて早朝駅前でゴミとなったり、同じステージにノルマに達成しなくて金欠だとか、企画するからでてよ!っとか、道は違えど進む先は同じ同志であり、ライバルであり、戦友であり。その中の多くが自分より音楽的な才能に富んだ連中でとても悔しかったし嫉妬すら湧いていた。

月日は季節が流れるのと同じくたっていった。
いつからかその仲間達もそれぞれの人生の分岐点に立った。仕事、恋人との結婚、家族、お金、理由なんていくつもあった。それぞれの人生だから何かを間違っているって事もないし、どちらかといえば正しい選択だったのかもしれない。解散に脱退、活動休止という名の実質的解散。才能があったと思っていた奴らから消えていった。

悔しさでしかなかった、そいつらが何故世間に認められず、テレビのお茶の間にでているインスタントな音楽を鳴らしているアイツラが評価されるのか、ライブはこんなにカッコいいし、曲だってメジャーとも引けを取らないし、何故なんだよって気持ちがイッパイイッパイだった。

いつからか、あの頃に一緒に進んできたバンドやSSWは極少数にまで減った。

僕はライブ中のMCで言った
「いつか別れが君達にもくるから、その選択の時が来るから、どちらを選んでもかまわない、だけどその時はくるから、今を精一杯生きて生き延びて生きましょう。」

これは昔まったく同じ事を実はとあるバンドが言っていたことをそのまま話した。
あの頃は分からなかったけど、今ならわかる。
それを踏まえて僕は進むという選択肢を、1人で進むという選択肢を選んだ。


すごく前置きが長くなった、言いたかった事ってのは人類の歴史上永遠だった出来事は存在しない。人がアクションを起こしていくのと同じ回数、人は大小おおきさはあれど何かを捨てていかなければならない。

大島正太がkey poor diaryというバンドに終止符を打って次に進んだのだ。決して無傷ではない、沢山のモノを捨てざる終えなかったと思う、沢山の選択を迫られたと思う。その中のどれが正解でどれが間違いだったかはわからない。でも彼は止まらなかった。これはこれからの歴史上変わることはない、進んだという出来事なのだ。


それを信じて、集まってくれたお客さん達。ステージの上からみた貴方達の表情はすごく良かったです。

取捨選択の人生ならば、同じ悲しみをどこかでまた背負うのならば、僕は強くなりたい。
貴方達は信じることで生きる輝きを放てて、そして願いも、想いも、全てを糧にして生きていける。弱い人間なわけがないです。
僕は貴方達の前で歌えた事を誇りに思います。

大島正太のワンマンライブにご来場いただきましてありがとうございました。

また会いましょう、何処かで。


tuna

よろしければサポートをお願いします。 活動資金にはなりますが、音源製作に役立てます!