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おひとりさま。

あらかじめ言ってしまえば天才ではないし、非凡な才能もない。真似事のような夜からはじまったのだ。

BUMP OF CHICKENの歌詞には恋愛的な愛ではなくもっと人と人の間でうまれてくる性別に左右されない愛を歌っている。見えにくいけれど確かに存在するかつて自分では言語化できなかった事象にやっと名前をつけれたような感覚。僕はそれが美しくってしかたなかった。

もしかしたらわかりにくいことなのかもしれないし、もしかしたら伝えきれてないのかもしれない、ポピュラーにはなれない感覚は随分と前から付き纏っていた。頼むから誰か愛してくれ。

だから、天才になりたかったし、何度も才能がほしいとも思ったし、ずば抜けたものが何もない円グラフの平均よりやや低いパラメータがフられた自分が嫌いでしかたなかったしそれだから必死に探していた。なにより凡人は凡人なりにみたいな雑草魂で進む事に魅力を感じなかった。泳ぐように歌って、語るようなギターを弾いて、なにもかも自分にはまったくないからそういうものに憧れた。

大人になると嫌なもので、ある程度の事を段々と落とし所を見つけていくようになる。それは必死さとはかけ離れた場所にあって、段々と光は弱くなって輝きを失っていく感覚にとらわれる。そういう時に限って過去を振り返ってしまうもので、そういえばなにか一等賞を取ったことも1番になれたことも、一番強く願った願望も、どれも叶ったことはなかった。よくそんな負けっぱなしの日々を生き抜いたものだなと唯一そこは我ながら感心する。

だからなんだってんだよ、そこには結局、ほしかった結果と成果はなかったじゃないか。過程を評価される毎日にほとほと疲れた。


それなのに––––––––––––––。


止まることができなかった。辞めることができなかった。きっとこれは呪いだ、そうに違いない。

今でもこの世界は結果がすべてでそこにどんな人間ドラマがあろうと、どれだけ女癖が悪かろうと、どれだけ金癖がわるかろうと、クズだろうと。良いものをつくる、それだけに価値があると思う。過程なんてただのおまけだと思う。

だけれど、僕のひととなりを知ってくれたり、寄り添ってくれたり、涙を流してくれたり。そういった人たちが間違いだとも思わない。だからわからなくなった。なにが?って自分が。

誰よりも拙い、あどけない足取りで鈍行な歩みの日々を続けながらいつのまにか見えなくなってしまっていた。でも僕は少しやっとわかったんです、僕は僕でいてもいいんだと。それは怖かった、存在することが許せなかった自分を信じてあげることに。ただそれを愛してくれる存在がいることを絶対に間違いにしたくなかった。まずはそれが理由で良かった、誰かの為なんていって自分の為だったから。

ひとりで立つことはとても怖い、とても恐ろしい。臆病なまますすんだここまでを、何もなかった僕が愛を唄うんだ。

つまり僕はあなたがあなたでいてほしいと願う気持ちを唄っているんだ。叶わなかった願いを抱えながら生きていくことも、卑屈になってしまう自分の事も許してあげてほしいと唄うんだ。なんでって僕はそれが本当はほしかったから。でもきっとみんながみんな自分からそんな事を言えないんだと思う。だから僕は何度だって言うよ。

そこにいてほしいと。

開戦前夜、少し近い月を眺めながら明日唄う事を考えている。あなたの表情が今みたい、信じてみたい、わかろうとしたい。ちゃんと知りたい。知りたいから知ってもらいたい。

ひとりきりでうたう唄。

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