23:30の日常

先日の宮崎をもって、release tourの全行程が終了した。
帰りの電車、寝ぼけてたのと酔いが冷めてないうちにふらふらと日誌を書いていたのだけど消えてしまってとても悲しい。

ライブの30分がやはり楽しい、この楽しいはきっと誰にもわかってもらえない快感だと思う。そこで生きているって気がして、それ以外がダメダメでもなぜか生きているのは許される気がして。

でもそれってまずくて、そこでしか生きられないのなら残りの23:30はただ線をなぞっているようなただ存在だけする時間になってしまうんじゃないかなっておもう。だから今のめり込んでるのはきっともう少し行き過ぎると飲み込まれるのだと思った。ゴクリと暗い闇とも光ともとれる怪物に飲み込まれるような気がしている、最近の僕はそんな狂気と向き合っている。

やはり狂気的なのだと思う、音楽は良いお薬にもなればドラッグにも姿を変えれてしまう。まるで写し鏡みたいだ。目の前にいる自分が思っているように自分は写る、常に。

毎日隙間の時間に練習をしている時、あっという間に寝る時間が来ていつも歯がゆくなってしまう。あと少しで音に近い存在になれたのかもしれないのにっと、エアコン切った車内でクリック以外の音が無い夜にドアを開けると夜の音がしてそれも音楽なんだなっておもった。ふーっと吐き消えていく煙をみて沢山のことを思い出して、もしかしたらこれって逃避の先だからこう感じるのかなって思った。逃げているつもりなんてなかったし第一何に対して?逃げてるのって考えたら多分のこりの23:30の日常だった。

悪いことをしてる気分になって、やっぱり練習って嫌いだと思った。これはきっと練習に対して八つ当たり。


今年以降の話、母から悲しい知らせを突然告げられて心の整理が今もついてない。
別に人が死ぬとかそういう話じゃない。
でも人も街も全て変わり続けるんだと納得してしまって大人ぶりやがってくそって思った。
自分にもし力があれば、って思わなくなったのっていつからなんだろう。
無力だと知ってからそれは始まった気がした。

まとまりのない文章、でも書かなければいけない時もある気がした。
他人がどうとかではなく自分のために。

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