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8月31日

この名古屋の地について3日目
居心地が良すぎて延泊もしてしまったりしたけど今日で旅立ち。

朝は名古屋モーニングとやらに連れて行ってもらった
お店の名前はファイター


朝6:30から空いている昭和の香りがするお店。
コーヒーを頼んだら本当にトーストがついてきた。

ゆっくりとした時間が流れていた



また、この街に来たいって思えた。
来るまではもやもやした不安が募っていたのに、来たらこの街は優しく迎えてくれた。
上手くいきすぎてて怖かった。

鈍行列車は少しだけラッシュを避けて乗った。
世間は夏休み最終日とあってか平日でも人が多かった。

それから約4時間の時間をかけ僕は京都へ向かった。

到着する頃にはお昼か、って思って少しだけ眠った。

目覚めたら乗り換えないといけない駅をすぎたと思い慌てて電車を降りた
後から気づいた事だけど、その駅は降りないといけない駅の二駅手前だった。

僕が降りた駅は「関ヶ原駅」という駅だった。
時刻表を見たらつぎの電車が30分以上先だった。
急ぎでもなかったしなにより、少しだけ観光したい気持ちもあったので僕は途中下車したこの街を探検してみることにした。

この街はかの有名な合戦「関ヶ原の戦い」があった地。
「天下分け目の戦い」と呼ばれたあの合戦は教科書と参考書で読んだだけ、まさかこの地に訪れる日が来るとは自分でも思わなかった。


この日は昨日の秋のような涼しさとは変わり、夏一色の快晴だった。
駅を降りた所の案内所にはいって一通りこの街にある名所を聞いた。
最初に関ヶ原町歴史民俗資料館に行くように言われた。

歩いて10分程でついたこの資料館では関ヶ原の戦いについての歴史的書物や展示品などが多数取り揃えられていた。中に入ると独特な図書館とか博物館の凛とした空気と匂いがした。

当時の合戦の状況、対立図、戦後処理、この後この時代はどう変化していったのか、など中身は非常に充実していた。

それから施設の人に荷物を預かってもらって、自転車を借りて近くの合戦場後に行く事にした。

夏の日差しが容赦なく照りつける中、自転車を漕いで行った山道、普通のママチャリだから登るのにすごく筋力をつかった。地元の小学生達はスラスラと登っていっててこんなに体力なかったっけ?って自分の体力の衰え具合に少し笑ってしまった。

登りきったその先、晴れ晴れとした山景色が目に飛び込んできた

初めて来た場所なのに、
なぜか懐かしくて、なぜかここに来たような気がした。
佐賀の田舎もこんな感じだったかもなって、自分の故郷を思い出した。
風はまっすぐに僕に吹いてきているようで
汗ばんだシャツが乾いていくような、スーッとした涼しさが心地よかった。

西軍 石田三成の合戦跡地。ここから彼等は何を見ていたのだろうか、東軍陣地までしっかりと見えるこの山で、どれだけの死闘が、命のぶつかり合いがあっていたのだろうか。

気づけば30分以上その山から見える景色をぼーっと眺めていた。

いくら急いでないとは言え、もう行かなきゃ夜になってしまう。そう思って立ち上がって帰ろうとしたらビューッと大きな風が吹いて山が鳴いた。
後ろをおもわず振り返って、ゴゥゴゥと鳴る山を見つめた。
夏がもう少しだけ続いて欲しいなって少しだけ思った。

帰りに神社のボスに会った。ずっとここにいるんだって。


僕はまた電車に乗った、今度は寄り道せずに京都へ。

大阪が次の日だけど泊まろうと思っていた宿が京都の方が安くてなおかつ宿から次の目的地大阪扇町に400円でいける阪急電鉄の駅が近いのもあったので京都に泊まることにしていた。


その前に京都のライブハウス京都growlyに寄った。

あの宇宙コンビニがラストライブをおこなったハコであり、福岡の先輩方もライブをするときここに訪れているこのハコで同郷の佐賀の先輩重松さんがライブをするということで立ち寄った。

重松さんの、歌の本質は決して強い人間にあてた歌ではなく、前に進みたいけど打ちのめされてる人に、自分自身に言い聞かせるような優しい歌が多い。夜に聴きたくなるんだ。

そんな重松さんがgrowlyのブッキングの恭平さんに紹介していただけた、そしたら一曲歌っていかない?って言われて一曲だけ歌わせてもらうことに

rainy dayを歌った。
ありがとうが身体のそこから溢れてくるようだ、緊張が身体を強ばらせる瞬間がなんどもあったけど歌いきった。


演者でもないのに打ち上げまで参加させてもらって沢山の話をきけた。
京都の音楽シーンだったり食べ物のことだったり

時計が一周する前に宿に戻らないといけなくて、慌ただしく帰った。

帰り際、リップサービスかもしれないけどまたおいでって言われたのが嬉しかった。

宿は2段ベッドが4つの8人部屋

中国人の女性
イングランドからきたシュナイダー
台湾と香港からきたサラリーマン。
中東からきたバックパッカー。

日本語がまったく通じなくて海外に来た気分になった。
おまけに中東の奴は現地の言葉で話しかけてくるが僕は中東出身じゃないって英語で言ったんだけど信じてもらえなかった。

お風呂も済ませて、ベッドに横に着くと驚くほど早く眠りについた。
そりゃ昼間にあんだけ自転車漕いで山道のぼったり電車に4時間くらい揺られてたらそうなるよなって今思えばそう思う。

次の日は扇町パラダイス、この話は次のノートに。。。

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