見出し画像

3月23日という日のこと。

3月23日をもって久留米GEILSというライブハウスが閉店する。僕がもっとも愛した久留米GEILSは今日でなくなる。

はじめてtunaとしてライブしたのもこのライブハウスだ。それから大先輩のIRIKO、THE FOREVER YOUNGのライブを観たのもこの場所で、インディーズアンダーグラウンドの生の音に触れたあの瞬間というのはあまりにも鮮やかに僕を突き刺した。CDやYouTubeで聴いているものとは違う、事件のような、生きた人間の鼓動が体全体に響き渡るあの空間が異質で浮世離れしていてただライブというものがなんなのか、何処にも居場所がないと感じたり、空虚な気持ちで浮き沈みしたり、うまくいかないことがあったり、そんなモノを吹っ飛ばしてくれて真っ正面からありったけの言葉を投げかけてくるあの姿を僕はこのライブハウスで目撃したんだ。

共に戦っていく仲間のような同郷の人間とも出会った、the Other Side of Urgeはその中でもこの街に対してのプライドと誇りをまず最初に教えてくれた。何者でもなく、名前もない、何処に行き場所もない、才能も輝くものもない僕にはそれが必要だったのだ、なにか僕にも背負い込ませて歩かせてくれ、無法地帯のやりたい放題の自由なんて求めてなかった。だから福岡県久留米市と名乗ることに憧れを抱いた。

この場所で仲間と呼んでいた人々の生活も時が経ち変わっていった。当たり前のことであり悪いことではない、ただこの場所から去ってしまったような寂しさを僕は何年もひとりで見続けてきた。久留米GEILSがつないでくれたのはそういった人との事だったりこの街の音楽だったり、ここが故郷なんだと認識させてくれるライブハウスだった。そしてそのライブハウスが今日をもって閉店する。帰る場所を失ってしまったような喪失感はここに書き尽くせないほどある、ここで音楽を鳴らすというのは自己表現ももちろんだが恩返しのようなそういった気持ちがあった。僕はそんな閉店してしまう最後の夜神戸に向かっている。

最後を迎える日に演奏をしたかったという気持ちとは裏腹にこの日を違う遠方でライブをしていることこそが今の自分の現状の中で最も最良の恩返しのような気がしている。この日に意図的にライブをいれたわけではなく久留米GEILSが閉店すると決まる前からこの神戸に行くということは決まっていた。偶然にすぎないけれどじゃあ僕よ振り返ってみろよ、あのはじめて久留米GEILSでライブした日から変わらず全然かっこよくないドサ回りと必死こいてやらないと止まってしまいそうな日々を経てこの街から飛び出して遠い街の仲間のもとに音楽を鳴らしにいっている。立ち止まるなと言われた気がしている、ここに留まることはするなと言われた気がする。ああでもちくしょう、寂しいな。久々に会える顔ぶれがもう二度とあそこで馬鹿笑いできねぇってのか。最後までカッコつけたかったけれど、やっぱりみんなに会いたいよ。僕は1人この道を歩いてる、正解かどうかはわからないけれど自分で今日選んだ道を歩いている。
もっと進む、それが僕が教わったことさ。

久留米GEILSは今日で終わる。だけどもそこで育った人間がいる、僕たちはもっともっと先に進む。

ほんとにこの場所でライブできた事を誇りに思う。

今日の天気は晴れらしいよ。


tuna


よろしければサポートをお願いします。 活動資金にはなりますが、音源製作に役立てます!