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こんなご時世なのに僕は仕事に向かっている、音楽だけでは食ってはいけないからバイトに勤しむ。シフトを増やさないかと提案される、今の1日のスケジュールを考える。お昼間に出勤して夜まで働いて、帰ってきたら車に乗り込み今年閉店した家電量販店のだだっ広い駐車場に車を停め練習をして明け方に家に帰っての繰り返しをしている。気づいたのがいつからか家で熟睡することがなくなってしまった。ここ何か月の話、家に帰るまでは猛烈に眠いのに帰り着いたら眠気がなくなってしまう。手持ち無沙汰で時間を消費する、煙草を吸う、本を読んでみる、頭にはいってこないからこういう時しか無限に終わりがない練習に打ち込むことだけが唯一の慰めになっていく。誰かと一緒にいる時にはあんなにほしかった時間や睡眠も、1人になると持て余す。毎日をとりこぼしているようで、毎日追われている。

果たしてうまくなっているのかわからない、もう何十回と振り出しに戻っている気がする。僕はもっと自由に泳ぎたい、泳げるようになりたい。雰囲気とか空気感とかではない、圧倒的なまでの技術が人の心を魅了するのだ。その人なりとか、雰囲気とか、空気とか、僕等かつて沢山持ってきたしその度になにか救えているような気がしていた。同じ温度にお互いなれたような、誰からもわかってもらえない事も共有できるよと。ただ僕は消費され続けることに疲れた。僕達はドラマや物語を売り物にしているのではなく音楽を売り物にしているんだ。

音楽の背景に物語やドラマがある事には問題はなく、大前提それを説明しないといけなくなるなら今はなにかつくりたいものと違う気がする。うまく説明できない、考えすぎなのかもしれない。

誰かを心配している時、自分も安心するようになっていた。こんなになにもない自分でも他者と関わり合えたり、役に立てていると思うだけで救われる。でも誰かが自分に注いでもらった愛情や優しさはそういったものではないような気がする。

中途半端に孤独になるからこうやって迷うんだと思いsnsを今は一時的にしても断ち切った、他人のあれこれで擦りきらしてる暇はない。でも個人でやっているうたうたいだから、連絡はsnsでくる。もしかして滞りがおきてはいけないと不安になる、ということよりも他者との接点がなくなるといよいよ視界が一気に狭くなる。自分にピンで光を当てられ他は真っ暗といった感じ。

そうこうしていく間も音楽を弾いて歌っている、誰に聴かせるわけでもなく。でも確実に身体は蓄積された疲労が溜まってきているのかここ数日は少しも弾けないまま車の中で眠ってしまう日が何日かあった。気絶したみたいにどうしようもなく、かといって深くはない浅い眠りを続ける最中、途方もなくなってしまっていた。世界と自分の我慢比べをしているようでどっちが先に終わりを迎えるかの競技をしているだけなんじゃないだろうか。優れて生き残って勝って終わりなのではないように思えた、どちらかが終わりを迎えて勝ちがつくといったニュアンスで本当に途方もない。こうなった時今までどうしていたのだろうと考えたら旅にでていた。今それができない状況でこの発作が起きてしまっているのなら正念場なのか。ひとりでちゃんと生きれるようにならなければいけないのに。安心して眠りたくないのだ、疲弊してボロボロになってからじゃないと眠ることを許さていないような気がしていて、それは他の誰でもない自分から指令をだされている気がしていて今日も朝を迎えた。

朝と夜が反転してしまった時は大抵良くない方向に進んでいる、わかっているそれくらいちゃんと。でもなにかで自分を納得させたいしはやく認めてあげたいのにできないとこうなる、それでいてこんなに馬鹿で非合理的でボロボロになった此処にきてようやく、音楽が美しく鳴り響いている。

こんなとこまでわざわざこないとわからないほどのジャンキーになったのか、はたまた鈍っているのか、もうわからない。


でもやっぱり音楽が心地良い。


でも「今の僕」の音楽は面白いものになっているのか。

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