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ついにその日が来た。「親」との再会が。

 ここ最近、映画館で見かけては、観る度に泣いてしまう短い映像がある。『映画プリキュアオールスターズF』の特報映像だ。

 わずか30秒の映像に、いい歳した成人男性が狂わされている。映画の内容もまったくわからない、タイトルと公開時期しか具体的な情報がないのに、やがて来る秋に向けて期待値を勝手に跳ね上げ、落涙しているのである。怖い。もし自分に子供がいたとして、その子の隣にプリキュアの映像を観て急に泣き出す成人男性がいたら、戦慄するだろう。事実、私はかつて『トイ・ストーリー3』のオープニングで嗚咽を耐えきれなくなり、両隣に小さなお子さんが座っていたはずなのにいつの間にかお父様と席を代わっていて、いつしかよそ様の屈強なパパに囲まれ号泣していたという実績がある。本当に申し訳ないことをした。子どもたちには「映画館は怖いところ」というトラウマが残っていないといいけれど。

 さて、この映像には二つの泣きポイントがある。一つは、流れる音楽が『ひろがるスカイ!プリキュア』の劇伴であること。まだ曲名もハッキリしていない(23年4月現在)が、主に戦闘シーンで流れるそれは勇壮で格好良く、ヒーローに憧れるキュアスカイ=ソラ・ハレワタールさん(私はソラ・ハレワタールさんを尊敬しているので「さん」をつけて呼ぶことにしている)の活躍を鼓舞するヒロイックなこの音楽を聴く度に、オンオン泣いている。そしてもう一つは、「大スクリーンでキュアエールさんのご尊顔を拝む」と、もう無意識的に泣いてしまう、というものだ。

 ガチョウやヒヨコには、孵化して最初に見たものを親と認識する「刷り込み」という習性がある。そして、哺乳類サル目ヒト科に属するこの私にも、その習性がある。具体的には、「初めて観た作品をシリーズの中でも神格化してしまう」という、一種の悪癖に近いものだ。よって、プリティーシリーズなら『プリティーリズム・レインボーライブ』を、アイカツ!なら『アイカツスターズ!』を、プリキュアなら『HUGっと!プリキュア』を神聖視しているし、何ならそれが行き過ぎて他のシリーズ作品を観られない、なんて事態にも陥りやすい。今でこそアイカツ!シリーズは完走できたものの、これは個人的には異例の事態だったし、『スターズ!』体験が鮮烈すぎて初代『アイカツ!』にノレなかった時期も、実は確かに存在していた(今では超好き。大空あかりさんのお顔を観ても俺は泣いてしまう)。

 というわけで、初めて観たプリキュアこと『HUGっと!プリキュア』については、今でも大大大大大好き(100カノ)で、歴代プリキュア集合!みたいなグッズやイラストを見かけると無意識にHUGのメンバーを探してしまうし、仕事やプライベートが上手くいかなくて落ち込んだ時はキュアエール=野乃はなさんのことを思い出して、自分を勇気づける行為を何度も繰り返してきた。とくにコロナ禍によって先輩や上司が一人、また一人と戦線から一時離脱していく中で何故か自分だけが感染せず常時2~3人分の仕事をしていた時期は「野乃はなちゃんに応援されんとなんもできん!!!!!!」と深夜のスペースで泣き喚いたこともあるくらいだ。精神を支える支柱としてキュアエール=野乃はなさんの存在はあまりに大きくて、彼女を見かける度に辛かった出来事の記憶と、それに付随して『HUGっと!』から活力を貰ってここまで生き延びてきたことを思い出して、問答無用に泣いてしまう、という身体になってしまっていた。

 さて、プリキュアシリーズのここ最近の映画では過去のプリキュアが客演するパターンがあって、HUGもいつかその機会が巡ってくるのでは!?という期待があったし、その際にはこの私もプリキュア劇場鑑賞デビューを果たす時が来るはずだったのだけれど、『映画プリキュアオールスターズF』という形でついにその日が迫っていた。オールスターズということでHUG単体の出番は少ないかもしれないが、もうエールに劇場で会えるだけで5億点が確定しているし、エールだけじゃなくてアンジュやエトワールやマシェリやアムールが登場したら(心の中で)スタンディングオベーションをキメ、万が一アンフィニが映り新録のセリフでもあろうものなら膝から崩れ落ちる覚悟もある。いや早く観たいなァ~~~、早く劇場で消し炭になりたいなァ~~~~~と、公開日を指折り数えているエブリデイだ。もちろん、映画のメインのお客様は子どもたち(性別問わず)なので、おじさんはすみっこのお席にすわってるね。ちょっと特定のシーンで“呻き”が発生するかもしれないけれど、その時は見なかったことにしてくれるとうれしいナ☆彡

 ……という、1,900字を超えるなっがい長い前置きを経て、いざ本題。実は、『ひろがるスカイ!プリキュア』のエンディング映像には毎週異なる他作品のプリキュアが登場するという演出があり、シリーズ20作目かつ20周年記念作品の祝祭感を感じさせる嬉しいおまけがお楽しみなのである。ということで必然、いつかは“来る”んだろうなという予感がありEDが近くなると戦々恐々としていたのだけれど、その時は何ら事前告知もなく、やってきたのだ。

 2023年4月16日の日曜日。その日の私はコンディションが最悪で、目が覚めた瞬間から謎の頭痛に襲われ、ベッドから起き上がれずにいた。時間は朝7時。本当ならプリキュアを観て、映画館に行き、先日裾上げをお願いしたスーツを受け取りに行くはずだった。なのに、ズキズキと痛む頭がその意欲を奪っていく。これまで感染していなかった(あるいは無症状のまま過ぎ去った)ために「コロナか!?」と疑ったものの、味覚や嗅覚は正常で、測っても熱はない。じゃあもう何なんだよこの痛みは!!!!と思い通りにならないこの脆弱な身体に毒づきながら、覚悟の二度寝をキメた。

 再び目が覚め、時間は11時。痛みは少し和らぐも、まだ鎮座している。ベッドから身体を起こすと、脳が揺さぶられたような鈍い痛みが襲う。急げば観たかった映画に間に合う算段ではあるが、ここから着替えて身だしなみを整える、交通機関に乗るなどといった行為を正しく実行できるビジョンが全く見えない。そのくせ食欲だけはあって、朝食と昼食を兼ねておうどんを啜っていると、なんだか虚しくなってきた。

 貴重な休日を、体力の回復だけに消費する。嗚呼、なんと虚しいことだろう。加齢に伴する衰えはみるみる気力と時間を奪っていき、外出する気力はすっからかんだ。ならばせめてお家の中で楽しいことをしようと思っても、ゲームをやってもサブスクでアニメを観ても、まったく集中できやしない。もうどうしようもなくなって、出来ることは回復を願って再び眠りに就くことだけ。リラックス効果を期待してヒーリング音楽や波の音などをかけるも、「寝なければ」という無意識がプレッシャーとなってより眠りが遠ざかり、観たかった映画(ちなみに『オオカミ狩り』のことだ)のことを考えては余計に切なくなっていた。

 三度目の眠りから覚めたら、すでに18時。Twitterを開いて最初に目に飛び込んできたのが放送されたばかりの『水星の魔女』14話のネタバレツイートだったので「そんなにセカイって俺のこと嫌い!?!?!?」と虚空に怒りを吐き出していた。要は、頭痛が消えて無くなり、ヘンな時間に元気になってしまったのである。

 ようやく身体を動かせる体調になったし、20:00からは仲間と映画を同時再生する予定があったため、ひとまずはお腹を満たしておこうと、お買い物に出かけることにした。まるで身体を取り換えたのでは?と思うほどに足取りは軽く、とはいえ玄関を出た途端に「」が襲い掛かってきて、休日が残りわずかであることを再び思い知らされ病んだ。それでも、せめて夜ご飯は好きなものを食そうと思った矢先、スマートフォンに着信履歴が残っていた。スーツの〇山からだった。

2023年4月16日の日曜日。その日の私はコンディションが最悪で、目が覚めた瞬間から謎の頭痛に襲われ、ベッドから起き上がれずにいた。時間は朝7時。本当ならプリキュアを観て、映画館に行き、先日裾上げをお願いしたスーツを受け取りに行くはずだった

回想シーン

 「本日お受け取り予定の商品についてですが、いかがされますでしょうか」との留守電。急にサイレンを鳴らし始める私の脳。「しまりました!」とCV:大森南朋で叫ぶ。高校時代の同級生の結婚式があり、そのためにスーツを新調したのだった。マズイ、今日中に受け取らねばと、急に行先変更。実はこの時、まだ脳が寝ぼけていたのか結婚式を来週と勘違いしていて、故に焦っていたのだが、式は月末であり、事情を説明して翌週に改めて受取に行けばよかったのである。だが当時の私はまだイカれているので、それはもう超絶焦っていた。スマホでお店の閉店が20時であることを確認し(なぜ電話に折り返すという判断が出来ていないのか)、即座に向かう。運よく最寄りへのバスに間に合い、ホッと胸を撫で下ろしたその時、ある違和感に気づいた。財布がない。

 まさか、落としたのだろうか。それとも、ただ家に忘れただけか。気づいたのはバスが発車してわずか二駅のところだったので、慌てて下車する(交通系ICは持っていた)。財布の中にスーツの引換票を入れていたので、これがなけりゃ目標は達成できないし、そもそもお腹を満たせやしない。そもそも、財布の中にはクレジットカードだとか身分証明の類がたくさん入っていて、それを差し止めるだの何だのをしなければと思うと、すでに気が狂いそうだった。頼む、家にあってくれと祈り、小走りで家にたどり着き、鍵を回す。靴を雑に脱ぎ捨て、自室まで1秒、2秒。仕事用のカバンを漁ればそこには財布が何食わぬ顔でそこにいて、「あ゙っ゙だ、゙あ゙っ゙だよ゙!゙!゙」と胸をなでおろす。全てが上手くいかない一日だったけれど、財布だけは無くしていなかった。思いの外心が弱っていたのか、ちょっとその場で泣いてしまった。この成人男性、メンタルが弱すぎである。

 財布を見つけ安堵し、顔を洗い冷静になって、その時すでに19時ジャスト。まだ間に合わなくもないが、もう身体と心が追いつかない。こうなったら仕方がない、平日のどこかで仕事を早退させてもらい受け取りに行こう……とスケジュールアプリを開いて初めて式が月末であることを知り、あまりにあんまりすぎて横になってしまった。冷静な思考能力もスケジュール管理能力も見失い、自分の全てが信じられなくなって、自棄になったらしい。じゃあせめて空腹をなんとかしようと買い出しに出て、またしてもそこで“ここでは絶対に書けないような”トラブルに見舞われ、20時に予定していた約束を20時半、21時と二度も先延ばしにさせていただき、各方面にご迷惑をおかけしてしまった。

 とまぁなんやかんやあって、9時からお友達と一緒に映画を観ながら通話して、ようやく「たのしいおやすみ」を取り戻している最中に、「今日のプリキュアのED担当がキュアエールだった」ことを知ったのです。お待たせしました。ここまですでに4,300字お付き合いいただきましたが、そうです。まだ“その日を迎えるまで”の話でございます。

 明けて翌17日の夜、意を決し『ひろがるスカイ!プリキュア』第11話を観る予定です。ツバサとあげはと気まずい関係はどうなるのか、「脚本:守護このみ」の圧に耐えられるのか、そして待ちに待った母親=キュアエールさんとの再会は一体どうなってしまうのか。

 また追記するかもしれませんが、ご期待下さい。

【4/18 追記】

 おはようございます。存命しております。僕です。

 昨日の17日夜に、『ひろがるスカイ!プリキュア』第11話「気まずい二人!?ツバサとあげは」を観ました。なんかね、脚本:守護このみに負けない!という強い意志で立ち向かったのですが、「6歳差のお姉さんからの“少年”呼び」「その呼び名にむず痒い思いをするツバサくん」「さも当たり前のように“ソラまし”“あげツバ”で二手に分かれる」「赤ちゃんのお世話の手際が良いあげはさん」「“受け取ってくれると信じて”機転を利かせて敵の拘束から抜け出すあげはさん」「あげはとエルを救うために飛ぶキュアウィング」「『プリキュア状態ではなるべく本名で呼ばない』お約束をあえて取っ払う」「美しい風景よりもあげはさんの横顔に見惚れるツバサくん」を24分ずっと浴びせられて、もう息が出来なくなりそうでした。プリキュアを観ているはずなのに『ペンギン・ハイウェイ』を観ている最中と全く同じ量のセロトニンとエンドロフィンが溢れ出てきました。良かった。これを10歳未満で浴びていたら確実に狂っていた。

 とまぁ本編がこの調子だったこともあって、待ちに待ったエンドロールはわりと冷静に観られました。EDが始まった瞬間に、キュアエールさんがこちらに向けていつもの決め台詞を言ってくださったので、それだけで感無量というか、満たされてしまいました。やーっ、やっぱりね、可愛いし、格好いいですよ、キュアエール。ただでさえ好感度爆上がり中の「ひろがるスカイ!」メンバーとどういう共演をするのか、秋のオールスター映画まで寿命が延びたので、そのことを楽しみに日々生きていこうと思います。フレフレ私!守護このみさん、ありがとうございました。

 現場からは以上です。

※本投稿は非公開にした過去の記事の内容を変更したものであり、投稿日と文中の日付が一致しませんが、文章の執筆は2023年4月17日(追記分は18日)になりますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。

筆者注

いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。