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輝く未来へ進むエールをくれた『HUGっと!プリキュア』へのありがとう。

 『HUGっと!プリキュア』全49話、完走しました。かれこれ三週間、長く連れ添ったわりに感覚としてはあっという間で、はな達みんなの輝かしい未来に心打たれながら、終わってしまったことへの寂しさで一杯です。毎週リアルタイムで追っていたファンの方々は、もっと巨大な感情が押し寄せたと思います。一年放送の番組を追うのって最早ライフワークと化してしまうので、達成感と喪失感がとてつもないんですよね。

はじめてのプリキュア

 過去の記事にある通り、私にとって初めてTVシリーズを追った作品が『HUGっと!プリキュア』になりました。

 当時の最新作『ヒーリングっど♡プリキュア!』が観られない現状に嘆き、自分の中で高まったプリキュアへの興味から何気なく手に取ったハグプリ、他のシリーズを知らないため比較は出来ないのですが、はじめてがハグプリで本当に良かったと今では心の底から思えます。この作品から元気を貰い、毎日少しずつ話数を進めていくのも全く苦にもならず、むしろ日々の欠かせない楽しみになっていくのを日に日に強く感じました。

 そもそもの発端として、いわゆる女児向けアニメというものを、私は『プリティーリズム・レインボーライブ』しか知らず、それゆえになぜ大人がハマるのか?という興味が漠然とありました。レインボーライブでは、家族を巡る様々な問題を抱えた少女たちの自己実現、あるいは自分を愛し他者を愛することを知る物語が紡がれてきました。その点ではハグプリも近いテーマ性を描いていて、えみるとルールーを巡る序盤のクライマックス近辺にレインボーライブの影を勝手に投影してしまいました(作品の優劣を定める意図はありません。どちらも愛おしい作品なのです)。

 自分を愛し、誰かを愛する。実に真っ当で、女児に限らずこの世に生を受けた誰もが心に抱いてほしい、永遠普遍のメッセージ。それらを踏まえハグプリは、ジェンダー、出産、育児、ブラック企業を取り扱います。日曜朝の子ども向け番組という大前提が無かったとしても、かなり意欲的で刺激的な作品だったのは間違いありません。とくにジェンダー論をはじめとする人権問題の多くは、万人が納得する答えなど出しようがないのです。これまでの歴史や偏見を捨てて誰もが思い通りに、幸福に生きられる世の中が実現しているとは、お世辞にも言えません。そんな世界に生きる私たちにとって、『HUGっと!プリキュア』がひた向きに希望や理想だけを描き続けていたら、それこそ「絵空事」として吐き捨てられる可能性もあったかもしれない。そんなリスキーな作品づくりを一年間通じてやり遂げたプリキュア製作陣の強い意識に、私は全49話を観ながらずっと圧倒されていました。

なんでもできる!なんでもなれる!

 番組オープニングで必ず宣言されるこの言葉。野乃はな=キュアエールが画面の前の私たちに授けてくれたこの応援の言葉が象徴するように、ハグプリに登場するキャラクター達は輝く未来を信じ、諦めずに前に進み続けました。

 思えば、はなは当初、秀でた才能も無く、自分に出来ないことに悩み、ひたすら誰かを応援し続けていました。ですが、それこそが彼女の唯一無二の才能だったのです。無責任かもしれないけれど、私が応援したいと思ったものを応援し、それを受けた人に翼を授ける。さあやとほまれがここ一番ではなのフレフレを望んだように、チャラリートの心にその言葉が残り続けたように、はなの応援は明日を生きる活力として、みんなの弱った心を励ましました。この言葉を受けて日曜日が始まっていくの、とっても素敵だなって、私思います。

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 さあやは、プリキュアを通じて「なりたい自分」と多く向き合った女の子でした。大女優を母に持ち、それに並ぶ女優でありたいと頑張っていたさあや。ところが、はぐたんの育児や出産に立ち向かったお母さん、そして産婦人科という命の現場に立ち会ったことで、さあや自身の夢が変わっていく様を、私たちも追っていくことになりました。

 「みんなを癒やす!」という変身時の口上や「(呼び名は)委員長でいいよ」という言葉の通り、当所は控えめで自分から前に出るような子では無かったのに、大女優の娘という名声とそれに恥じない演技力(才能)を持ちながら、悩みぬいた末に自分の未来をハッキリと決断する。わずか13歳にして最も勇気ある選択に踏み切ったさあやもまた、凛々しく格好いいヒーローでした。

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 輝木ほまれさん。彼女もまたフィギュアスケート選手という遠い世界の人のように見えて、等身大の女の子らしい成長を遂げました。クールで近づきがたい印象があれど、赤ちゃんや可愛い物が大好きで、正義感と思いやりに満ちたほまれさん。その一方、過去の失敗から臆病になり、一度は跳べなくなった彼女は、それでも「もう一度跳びたい!」という願いに向き合い、プリキュアに変身します。

 プリキュアだって普通の女の子だから、恋だってします。大きな悩みを抱えながらも、自分を励ましてくれたハリーへの想い。それが実ることはなかったけれど、未練を断ち切ったほまれは再びスター選手として舞い戻り、最終回で描かれた未来でも、彼女はトップスケーターとして夢を叶え続けました。

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 愛崎えみる、ヒーローに憧れる、心配性の女の子。最初はいくらなんでも現実離れしたキャラクターがやってきたと思っていたのに、一番涙を搾り取られたような気がします。

 彼女が闘ったのは、「女の子らしくあれ」という周囲の目と、自分らしくありたいという心との不一致でした。「ギターは自由なのです。ギュイーンとソウルがシャウトするのです」と、窮屈な生活の中で押し殺していた本能は音楽と言う形で発揮される日をずっと待っていた。そんな彼女の背中を押してくれたのがはなやアンリ、そして何より親友となったルールー。彼女と友達になりたい、もっと相手のことを知りたい。そのためにはまず、自分を肯定し愛すること。だからこそ彼女はギターを片手に、愛を歌う。「きみのことすきなんだ」「ともだちになろうよ」と。

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 ルールー・アムール。プリキュアと敵対する組織の一員にして、後にプリキュアになったアンドロイド。「なんどでも起こすよ きらめく奇跡」と歌われたように、機械だった彼女は心を得て、親友を得て、たくさんの愛を受け取りました。

 えみるからの親愛、トラウムからの親子愛。たくさんの愛に触れたルールーは、愛を伝えるためにえみると一緒にステージに立ち、そして未来への希望を失った世界に歌を届けたいと、自分の夢を話すようになりました。はじめは人間のまがい物だったかもしれませんが、彼女が獲得した心は間違いなく本物でした。愛をその名に背負い、愛を伝播するプリキュア。彼女がキュアアムールになった瞬間は、全49話を通してもっとも心を揺さぶられた体験でした。

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 プリキュアに救われ、未来を歩むようになった人たちはたくさんいます。とくにクライアス社の面々は、プリキュアによって「浄化」され憑き物が落ちたように活き活きとしています。一度失敗してもやり直せる。『HUGっと!プリキュア』は大人の心にも優しいエールを贈り続けました。

 そして、若宮アンリさん。周囲の期待とズレた自分の心に悩み、「なんでもできる」幼少期の万能感を成長によって失い、最後は不運な事故によって理不尽に奪われる。そんな壮絶な人生の中でもう一度未来を抱きしめられた時、本作は最高の奇跡を見せてくれました。誰よりも気高くて美しい、そして強い心の持ち主でした。キュアアンフィニ、「無限」の意味を背負うその名は、まさしく無限の可能性を抱く彼に相応しい名前でした。

 そして、忘れてならないのはみんながプリキュアになった日のことです。アンドロイドも男の子もプリキュアになれるし、大人だってパパだってプリキュアになれる。大切なのは、「輝く未来を抱きしめる」その気持ちです。明日を育む意思があれば、私たちもプリキュアになれる。明日への希望を「アスパワワ」という見える形で描いた本作は、明日への前向きが気持ちが奇跡を生むことを信じさせてくれたのです。

 なんでもできる!なんでもなれる!その言葉に込められた可能性もまた無限大です。だって、プリキュアにさえなれるんだもの。これは当然、現実にはプリキュアに憧れる男の子だっているということを作り手が知っているからに他なりません。仮面ライダーやスーパー戦隊が好きな女の子がいていいように、プリキュアが大好きな男の子だっていていいのです。だからこそ本作はプリキュアに「ヒロイン」という言葉を充てることはありませんでした。どんな子どももプリキュアに憧れていい、プリキュアになりたいと願ってもいい。

 そして、そのメッセージの対象はプリキュアへの憧れを募らせる大人も含まれるでしょう。大人になればなるほど将来の選択肢は狭まっていく。されど、希望を抱くことを諦める道理はありません。最終決戦において、プリキュアたちは必ずしも未来は楽しいことばかりではないと知りながら、それでも時を止めることを否定しました。人生、辛いこともあるけれど、未来に向けて歩いていこう。言葉にするとありきたりな台詞に思えるけれど、それに説得力を与えることのどれだけ難しいことか。それでも、くじけそうになったとき、本作から貰ったエールがあなたの心を少しでも軽くするかもしれない。日曜のプリキュアを観るのが楽しみでお仕事を頑張っている大人の皆さんはそれぞれ、知らずの内にプリキュアからアスパワワを貰っていたのでしょう。その到達点として「全人類がプリキュアになる」ことの持つ意味こそが、本作が伝えたかった本当の「応援」なのかもしれません。

 と同時に、全人類のプリキュア化は「プリキュア=ママ」コンセプトから生じる「育児は母親だけの仕事なのか」という批判への完璧なアンサーになっています。お母さんだけでなくお父さんも、ひいては社会全体で子どもを育むことが、本作の伝えたい大きなメッセージなのでしょう。

『HUGプリ』に欲しかったもの
~ホンキの大人の諦観について~

 ここまで絶賛一辺倒ではありますが、あえて本作に足りないと感じたものの話をします。作品への強い愛は変わりませんし、後世に残すべき名作だとは思います。ただ、「こう描いてほしかった」というオタクの独り言だと思って聞いてください。

 私が『HUGプリ』に足りないと感じたものとは、「クライアス社=ジョージ・クライの動機に納得させられる」でした。プリキュアが掲げる、未来に希望を抱き進み続けることは圧倒的に正しい。それに対し「人々が未来に絶望する前に、幸せなまま時を止めてしまおう」というプレジデント・クライの掲げる理想(社訓、と言うべきでしょうか)に、一度は本気で「それもアリだな」と思わせられたかったのです。

 何せジョージ・クライにとって、時間を止めることは彼なりの正義に基づいた行動のはずです。どうやら未来の世界では人類の尽きぬ欲望によって文明が荒廃してしまうらしく、それゆえに「時間が止まることで人類は一切の活動をする必要がなくなり、過去の幸せな思い出に永遠に浸り続けられる」という。欲望を募らせた結果自分たちの世界を崩壊させた人類の姿を見て、未来に希望を抱くことへの諦観を持ってしまったが故の独りよがりな正義。その正義が番組を観た視聴者にどのように受け止められたのでしょうか。

 例えば、人類の文明が荒廃していく様を具体的に見せられていたら、印象も変わったのかもしれません。時折現れる未来のビジョンは、それこそビルが崩れ空は紅く染まった、ありきたりなイメージ。それに至るまで何があったのか、提示されることはありませんでした。環境を破壊してしまった、あるいは戦争が起きた。愚かな人類によって崩壊する文明のイメージは多々ありますが、そのどれも作中では明示されません。これでは、ジョージ・クライは至った諦観の説得力を、視聴者が共有することは難しかったように感じました。「成長こそが呪い」であった若宮アンリに時間を止めようとスカウトをしたリストルの囁きの方が、より説得力を持っていたようにも思えます。

 ハグプリは前述の通り出産やジェンダーを通じて、「正しさ」を描こうと挑戦したアニメでした。なればこそ、敵の動機にも自分の価値観を揺るがされ、プリキュアの正義と悪の正義は等価値にさえ思える瞬間に頭を悩ませた買った。……という一方的なワガママを吐き出して、ハグプリへの素直な気持ちを一区切りさせてください。

未来へ

 『HUGっと!プリキュア』、本当に大切な作品になりました。女児アニメの「今」を知る材料になっただけでなく、作品の中で生きるキャラクターの心振るわされ、得たものを現実に持ち帰り少しでも前向きな気持ちになれたことに、自分でも驚いています。プリキュアは素晴らしい。前述した「なぜ大人がハマるのか?を、自ら実証してしまった形になります。そうでなければ、5,000字のテキストを3つも書けません。

 期せずして、ハグプリを完走した2021年2月28日は新しいプリキュア誕生日でもありました。そうなれば当然、観ないという選択肢はありません。今度はプリキュアを、みんなと一緒にリアルタイムで楽しむことができる。

 『HUGっと!プリキュア』が手渡してくれた、希望のバトン。明日を信じる暖かい希望を思い出しながら、明日を紡いでいこう。

フレフレ、プリキュア。フレフレ、みんな。フレフレ、私。

文中の画像はすべて『HUGっと!プリキュア』公式ホームページより

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