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いのちの当たり前を当たり前に

こんにちは
ツナグみらいの綾子です。

『ツナグみらい』は出来立てホヤホヤのチーム
沖縄中に未来につなぐ遊び場を創っていきたいと立ち上がりました。


先日

自然お産を取り扱う友人が言いました。


「生命として病院で分娩台で産むのではなく

自然にお産をすることは

いのちとして本来は当たり前のこと 

それを特定の意識の高い人や

お金がある人だけのものにせず

すべての人のいのちの当たり前にかえしたい」と 

 

今は便利な時代となりました。 

生きるための食べ物も

暮らしに必要な物もおおよそ

スーパーにいけば手に入る時代

 

しかし、こうした大量生産、

大量消費の資本主義社会の在り方は

様々な関係性を希薄にしました。 

 

食べ物がどこからきて

自分が使っているものがどのように作られたのか 

考えたことなく過ごしている方も多いでしょう。 

 

商品は「買う」という行為で関係は完結してしまう。 

 

しかし、一方で

春になってたわわに実る桑の実をいただくとき

この桑の木が惜しみなく与える「贈り物」に感動し

 

そして、またわたしも

桑の木とそして、その環境をよきものにしようと思う

相互の関係が生まれる


「商品」と「贈り物」は

たとえ同じものであったとしても

全く異質のものになる

 

ひと昔前は

自分たちで米や野菜を育て

そして綿花や麻など植物から繊維をとり

着物を織り

草木で染め

家は自分たちで建てた 

 

そうした「贈り物」で成り立つ暮らしは

そこに対する感謝と畏敬の念を産み

必要以上に搾取したり

壊したりすることは

つまりは自分を壊すこととであるという

深い関係性を産み出していたこと思います。



わたしたちは思います。 


どんなに自然体験をして冒険しても

どんなに心地よい自然の中で

心地よくコーヒーを飲んでも 


一番大切なのは

自然と「わたし」の関係性ではないかと 

 


古来日本には

自然(しぜん)という言葉はなかったといいます。


「自然(しぜん)」は19世紀末に輸入された

Natureの訳語として採用されましたが、

日本にはあったのはもともと自然(じねん)という考え方


Natureの訳語としての「自然」(しぜん)は、

自然は人間と対抗するもの

人間が制するものといった概念である一方


「じねん」は

「自ずから然(しか)らしむ」、「あるがままの状態」という意味

これは「無為自然」に起源をもつ親鸞や道元などの

仏教的な思想から来ているんだそう


人間も森羅万象、天地万物の一部であるという概念


 

ツナグみらいが大切にしたいのは

そうした関係性であり思いであり生き方


その関係性を土台とした

様々なあそび

様々な場所を


特別なだれかのためではなく

だれもが触れられる

いのちとしても当たり前にしたい(ビジョンは大きくね)

そう思って進んでいきたいと思っています。 

 

どうぞ、見守り応援してくださいませ。

そして、時にはご一緒にミライにつないでいきましょう。


ぜひ、サポートお願いします。  たくさんのこども達がイキイキと希望を持ち、本当の生きる力と智慧を持ち人生を楽しめるスクールや活動に活かします!