第1384回 日付をきっかけに思い出すこと
1、今年もあの日がやってきた
今年も8月15日が過ぎましたね。
X(旧Twitter)では、家系図を調べにきたり、家族が揃ったからとパスポートを一緒に取りにきたりと、この時期恒例のお客さまが来ると言った呟きが見られました。
うちの町はそんなことないなー
そもそもカレンダー通り営業しているのに、休みだと思われているから
電話も来客もないなー
といつものように平和なお盆休み出勤をしていたら、
この時期だからこそ思い出したことがある、という地域の方から電話がありました。
90代の方でしたが、受け答えはしっかりしておりました。
2、海軍工廠の思い出
我が町には戦時中に海軍工廠の一部があり、
地下壕を掘って軍需物資の生産がなされていたのです。
詳しくまとめられている方のブログを貼っておきます。
電話をいただいた方もここで働いていたとのこと。
もう10年も前ですが、地元の方の案内で現場を確認に行った時の動画がありますので上げておきますね。
この時は町に社会教育主事として学校の先生が派遣できていたので
郷土教育の素材としていろいろ町内を巡っていたことを思い出します。
子ども達だけでいくようなことがあったら大変だから、と結局は活用できませんでしたが。
電話いただいた方は、玉音放送を今は無くなってしまった松島観光ホテルの大広間に集められて聞いていたとのこと。
もちろん海軍の仕事も無くなってしまったので、そのまま解散。
海軍のマークが入った毛布なんかをもらって帰ってきたとのこと。
何か当時のものをお持ちではないですか?
と聞くと繰り上げで卒業になった学校の証書なんかは取ってあるけど、
とのこと。
3、資料収集から
そう我が町ではちゃんとした郷土資料館がないため
戦時中の暮らしを伝える資料が全然ないんです。
わずかに、出征される方に寄せ書きして持たせた国旗を寄贈されたのでそれくらいでしょうか。
あとは町の公式Facebookでも紹介した防火用の水桶。
東京の小学校から集団学童疎開を受け入れた歴史もありますし、
満州に開拓で行った方々の歴史や
町内出身者がどこの戦場に派遣されたのか、
など探って行きたいことはまだまだあります。
今回いただいた電話のような聞き取り調査をどのように行い、
どのような形で公開していくのか、考えていかなくてはいけないですね。
町史編さん期間中にどこまでできるか、というところでしょうか。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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