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麻布狸穴

狸穴というのは都内屈指のマイナーな地名なのだが、なぜか文豪の作品に散見する。(島崎藤村邸があったせいもあるのかもしれない。)
ちなみに読み方は「まみあな」である

「私はそれを植木坂の上のほうにも、浅い谷一つ隔てた狸穴の坂のほうにも聞きつけた。」(「嵐」島崎藤村)
「綾子夫人は、待てしばし、過日も狸穴の辺にて在原夫人にかかりし事あり。」(「貧民倶楽部」泉鏡花)

麻布十番から蕎麦屋の永坂更科を見ながらだらだらと長い坂、永坂を登っていってもいいのだが、車の通らない、首都高が天井を塞いでいない小さな坂、狸穴坂、鼠坂、植木坂を上がるのが良い。

崖上は警備が厳しいロシア大使館が有る。一方崖下に行くと警備の警察官の姿は少なく、住宅街、寂れた商店街がある。最近では写真専門のギャラリーもこの辺りに越してきた。また一部では有名なSMホテルがあるのもこの辺りだ。

坂を登れば外苑東通り、東に向かえば東京タワー、西に向かえば飯倉の交差点を超えて六本木である。イタリアンレストラン「キャンティ」がある。六本木族、キャンティ族などとも言われたが一種の文化人サロン的な場所でもあった伝説の店だそうだ。常連客は枚挙に暇がないが、加賀まりこ、コシノジュンコ、かまやつひろしら芸能人の他多くの文化人、最年少の常連には荒井由実などもいたとも。余談では有るが、近くにあったもう一軒のイタリアン「ニコラス」は日本で初めてイタリアンピッツァを出した老舗、若い頃の椎名誠さんがバイトをしていた(「哀愁の町に霧が降るのだ」椎名誠著)。

話は逸れたが、キャンティの横の小坂を下ると袋小路の一帯となる。どうしてこのような場所が生まれたのか不思議なのだが、戦前の建物が残るくらいなのでそれ以前からなのだろう。今なお3棟が残る木造集合住宅「和朗フラット」は戦前のモダンな建築で住むことも出来るのだが、登録有形文化財としても指定されている。

(撮影. 2020/12)

model: chisa


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