ぼうしゃ

Photographer/東京/写真撮りたい人/格好いい写真愛好家。 ギャラリー行った…

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Photographer/東京/写真撮りたい人/格好いい写真愛好家。 ギャラリー行ったり、美術館行ったり、舞台見に行ったり、自転車乗ったり、散歩したり。 https://tune28.wixsite.com/index

最近の記事

由比、田子の浦(静岡県)

富士川から清水にかけて、車やバイクでバイパスを行くと景色を楽しむ余裕がない。しかし当然ながらバイパス以前の道はあるし、そこは比較的交通量も少なく、側道を歩いていても心配はない。 由比駅で降りて一駅歩いた。この辺りだと駿河湾にせり出している薩埵峠が名所として有名だが、その前後は海側になだらかに下がっていく地形の場所に街がある。地域の鎮守の神社も階段登っていった先に社があり、昔から変わらない、そこからの景色が素晴らしかった。 バイパスの下は誰もいなくて静かだ。近くのコンビニで

    • 長者丸2

      長者丸の北側は、港区、品川区、渋谷区の区境が複雑なのだが、それはかつての川の流路をベースにしているからに他ならない。現在でもかつての暗渠跡を見ることが出来るのだが、つまりこの辺りは川が流れる低地になる。東側は東京都庭園美術館、国立自然博物館付属自然教育園の森が広がり、これらは現役の水源である。 この水の流れは現在の首都高二号線の下辺りをいくつかの筋となって流れ、天現寺交差点で渋谷方面からの渋谷川、青山方面から流れてくる笄川と合流し、下流は古川となる。渋谷川以外は暗渠なので、

      • 山中湖

        出かけないと後悔しそうな陽気の日、急遽思い立ってバイクでソロツーリングに出かけた。荷物も少なめ、カメラも忘れた(スマホは持った)。 多摩川沿いから多摩ニュータウンを抜けて道志みち(R413)へ入るルート。通るのは久しぶりだけど、慣れた道だ。城山湖を過ぎた辺りからライダーが目に見えて増えてきた。事故も一件目撃、気を引き締める。 途中の多摩センター通り辺りでは散ってる桜も多かったけど、山間を走る道志みちの桜は満開だった。春の光、桜を眺めながら進んでいく山の中の道は楽しい。道の

        • 長者丸1

          長者丸はJR山手線目黒・恵比寿間の東側、首都高速2号目黒線との間に挟まれた一帯の古い町の名前で、北は小さな谷を挟んで恵比寿ガーデンプレイスに、南は目黒通りに隣接している高級住宅街だ。室町時代に移り住んだ白金長者と呼ばれる豪族の子孫の居住地から長者ヶ丸と呼ぶようになったらしい。由来は白金長者の「長者」と中近世の城郭(館)を意味する「丸」から名付けられたものらしく、長者丸に隣接する地区には「中丸」という古い地名も町会の名前として残ってる。 昭和初期にかけて大規模な宅地開発が行わ

        由比、田子の浦(静岡県)

          桐ヶ谷

          この辺りは西五反田ではあるが、古い地名は桐ヶ谷である。今も桐ヶ谷斎場があるし、第二次世界大戦前までは、五反田から出発する東急池上線に桐ヶ谷駅というのがあったそうだ。 落語の「黄金餅」の話の中で亡くなった人を運ぶくだりがあるのだが、下谷山崎町(現在のJR上野駅東側)から上野広小路に出て神田、日本橋、京橋、新橋を経て愛宕下、神谷町、飯倉、麻布十番を通り、今の南麻布あたりのお寺での読経を経て桐ケ谷まで行くのを情景描写とともに語る(この落語の見せ場である)。現在で言うと、上野から中

          川崎大師

          京急大師線は京急川崎で乗り換える必要がある。京急本線は高架を通っているが、大師線は地面に敷設されており、2階のホームから一階に降りるとこじんまりとしたホームに電車が佇んでいた。もともと川崎大師へ向かう参詣路線だったそうである。JR川崎駅、京急川崎駅より海側は工場地帯の印象が強かったのだが、今やその工場が撤退、その跡にはマンションが立ち並び、沿線人口が増加しているそうだ。 川崎大師に近い廃工場で撮影した。廃工場というのは心躍るものだ。それはやはり刑事ドラマだったり特撮モノだっ

          玉の井

          現在その地名はないが、玉の井で思い出されるのは永井荷風著「濹東綺譚」だろう。二十世紀初頭当時の東京の風俗を描き、また荷風の分身たる小説家と娼婦との出会いと別れの一遍は永井荷風作品の中でも言うまでもなく傑作だ。 もちろん現代となっては玉の井はその面影もなく、それもそのはずで荷風が訪れた私娼窟街は太平洋戦争の空襲の戦火に焼かれ、戦後のカフェー街も廃れてほとんど見る影もない。しかしながら土地の記憶は道路、そしてその裏道に形を留めている。 唐仁原教久著「『濹東綺譚』を歩く」(白水

          川崎駅前

          会社勤めをしていた頃、川崎は職場の最寄り駅だった。その頃には既に駅ビルは完成しており(今のアトレ)、東口の駅前はキレイに整備されていた。少し離れた京急川崎駅へのアクセスも不便ではなく、各方面に散っていくバスの乗り場もきれいに振り分けられていた。 アーケードのある商店街銀柳街が駅前にあるものの、そこから先へは明らかに違う雰囲気の残るエリアだったし、チネチッタやクラブチッタ、川崎ロック座などもあり妖しくも華やかな街という感じで印象は今も変わらない。職場の人と飲む時は必ずこの街だ

          札の辻

          皇居、東京駅方面から南に降りてきた道が南西に曲がる辺りに札の辻はある。JRの線路も浜松町から田町にむかって南西にカーブし、田町を出た辺りで品川の方に南に向かう。 江戸時代は高札がかかった場所だったそうで、それで「札」の「辻」だそうだ。もともと芝浜と呼ばれていたエリアで、かつては芝浜とよばれたエリアも近く芝浜中学という学校もあった(現在は近隣の港中学と合併して三田中学となっている)。また戦前は旧浅野財閥の総帥である浅野総一郎の邸宅「紫雲閣」という豪華な建物があったそうである。

          五箇荘(滋賀県)

          「何にもないでしょ、この辺り」 案内を頼んだHさんは少し気だるそうに話した。 「いや、そんな事ないですよ。建物素敵だし」 「大きい駅もないしね、周りは山だし、琵琶湖は山の向こうだしさ。しかし何で、こんなとこよ?」 「昔見た好きな映画の舞台だったんですよ此処。」 滋賀県の東にある五個荘はHさんの地元という話を聞いたので案内を頼んだ。五個荘は北側に開けた平地で、その真ん中あたりに金堂町がある。琵琶湖との間には山が連なり、山を超えた西側には安土城跡がある。 待ち合わせたのは近

          五箇荘(滋賀県)

          飛鳥山

          春の眩しい光がどの方向からも差し込んでくる。 飛鳥山の台地は北西から南東に細長い地形で、東側の崖下にはJRの複数の線路が走っている。東京十社の一つで格式の有る王子神社や広重の江戸百にも描かれた王子稲荷神社がある北側の丘とは石神井川(音無川)で分断されているが、谷の地形が不自然であり、山を崩して荒川(隅田川)方面にショートカットさせる人為的な河川改修が行われたという説もあるらしい。 名所だけあって春の飛鳥山は平日でも人が多い。遊具のある園地では定番の遊具の他にもお城を模した

          竹橋1

          大手町方面から竹橋を渡り代官町通りを西に進むと、国立近代美術館や国立公文書館を超えた先に赤レンガのオシャレな建物が見えてくる。20年まで国立近代美術館工芸館として使われていた建物で、元々は旧日本軍近衛師団司令部庁舎部跡だ。明治時代に竣工し、関東大震災、太平洋戦争時も被害がなく完全な形を今に留めている。太平洋戦争末期の1945年8月の終戦に反対する一部将校のクーデター未遂事件、いわゆる宮城事件の事件の最初の銃声が放たれた現場でもある。 二階建て赤レンガ造りの近代的なデザインで

          愛宕山1

          愛宕神社のある愛宕山の下は比較的平坦であって、かつては広範囲に住宅街であった。中学校の友人のI君が住んでいたアパートも雑然としたこの辺りの住宅街の真ん中にあった(学区は違ったが越境していた)。近くには桜川小学校という学校もあったのだがその頃には通学する人数も減っていたらしい。この桜川という名前は名の通り川に由来するもので、僕が知る限りでは暗渠かもしくは埋め立てされていたが、四谷の南東側の谷を水源とし赤坂御所内の池に流れ込む鮫川が下流にて名を変えた川でその流れは赤坂、溜池を通り

          祇園(京都)

          「千と千尋の神隠し」ではないが、夜になれば光景は一変するのだろう。人通りの少ない祇園の北側の飲食街ー夜の飲み屋街と言ってしまっていいだろうーを歩いているとそんな感じがした。 四条通りを挟んだ南側の祇園花見小路などは観光客で賑わっていた。八坂神社から建仁寺あたりまでの一帯は何処を歩いても人が多い。安井金比羅宮も「縁切り縁結び」のお社として知られるようになり観光客が多い。この神社周辺は辺りは昔から(おそらく)神社仏閣関係者の遊び場だったのだろう、今でも名残であるホテルが立ち並び

          祇園(京都)

          六本木2

          六本木ヒルズの立っているあたりはかつてテレビ朝日の本社屋があった。父の仕事の関係で時々テレビ局に行く用事があったために何度も中に入った事がある。六本木通りから広尾に向かうテレ朝通りの左手に少し入った所に広い駐車場があり、その更に左手方向に白っぽいコンクリ作りのあまり高くないビルの社屋があったのを覚えている。ニッカ池というのが昔からあり、その時分はなんだかうっそうとした裏の空き地だった。今の毛利池のあたりだ。 毛利庭園横の道路、環状三号線はトンネルが開通しておらず行き止まりだ

          六本木1

          現在のミッドタウンの向かい正面に父方の従姉妹だったかという関係程度の遠縁の家があった。風の便りでは道路拡張にともない裏側に引っ越したという話を伝え聞いたが疎遠となって年月が経っており、今となっては縁が無い。子供の頃は正月などの挨拶に父に連れ出されていた。手土産は決まって団子は俳優座劇場の裏側にある和菓子屋で買うのが常で、余計に一本買って貰うのが嬉しかった。こちらも今では和菓子屋はない。 このあたりも栄枯盛衰が激しく、今でもちょっと前までガールズバーだった所がサウナになってい