演劇をやめる 私は続く

演劇をやめることは、私をやめることだとずっと思っていた。でも、私はより私であるために、演劇をやめようとしている。9年もの間『演劇公演』を続けた。脚本を書いては赤字を返済する日々も終わりだ。劇作は続けるし、演劇に出演することはあるかもしれないけど、人と関わって自団体で公演をつくるということは、よっぽどのことがない限り、もうしないと思う。それは、私の心のうちの、大きな『演劇』ゾーンがえぐられることである。人生に変化が起きる。私は演劇をやめる。

演劇を始めた頃は、私が面白いと思うものを面白いと思ってもらえることが嬉しくて、ただそれだけで良くて、創作過程においての他のどんなに辛いことも大抵耐えられた。何人に嫌われようが、一人に「面白い」と言ってもらえれば良かった。高校演劇を満了して、劇団を立ち上げてからも、赤字を返すためにやるバイトも全然苦じゃなかったし、演劇界の一部でいることで、自分の存在を認めてもらえているような気がした。だけど、いつからか演劇をやることが辛くなってしまった。いろんなことに疲れてしまった。「他人の心に触れられない」と思うことが増えた。赤字を返すのが辛くなった。自分が本当に面白いと感じる作品を愚直に作れなくなった。もっと訳がわからない変な作品をたくさん作りたかったけど、ちゃんとしなきゃいけない主宰としての立場が心情的に邪魔をした。私のことを傷つけてくる人たちもそうだ。私が訳の分からないことをしようとするとそれを正そうとした。私は、いろんな理由から演劇の中で自由にいることが難しくなっていった。一生演劇を続けると思っていたけど、心から演劇を嫌いになる前に、早くこの畑から逃れなければ、と思った。

でも、だけど、私は、演劇のおかげで、凄いことがたくさん起こった。(ここからは感傷に浸りながらの自慢ゾーンです!)
まず、9年も同じことを続けられたこと。小さい頃は同じ遊具で5分と遊べないほど飽き性だった。これからもこの9年は私の人生に大きく響くと思う。
高校演劇時代に作った作品は、累計動員で1500人以上の人に見てもらえた。私は700人キャパの劇場に俳優として立った。脚本賞をとって、大会では知らない他校の生徒に握手を求められた。
高校を卒業して18の時、学生演劇の大会で日本一になった。日本一になれる人はあんまりいないと思う。柿食う客の七味まゆ味さんに私たちの名前を読み上げられた時は震えた。打ち上げは、お酒を飲み過ぎている出演者に怒り続けていたからあまり楽しくなかったのを覚えている。
佐藤佐吉では年間の優秀脚本賞を貰った。ずっと憧れてた王子小劇場で認められたことは、永遠に私の誇りになる。
そして、9年演劇をやってきた中でも、特に思い出深いのは、アフタートークに佐久間宣行さんが来てくださったことだ。まだコロナになる前、佐久間さんのオールナイトニッポンの出待ちに並び、アフタートークの打診をした。他にも同じことを考えている演劇人は多かったらしく、自団体の公演のフライヤーを持ってやってきている出待ちファンが2名いた。その人たちは学生演劇祭で一緒になっていたから、世間は狭いなと思った。佐久間さんが審査員をやっていたミスiDの面接が終わった直後に「アフタートーク出ますね」と連絡がきた。とてつもない幸福だった。あー、これまで人生を頑張ってきて本当に良かったー、と感じた。
そうそう、ミスiDもとった。3500人のなかの10人になった。人間を認められて嬉しかった。あと、選考にあたって、組んだ策がことごとく上手くいったのも気持ちよかった。ミスiDの肩書きは色んなところで私を助けてくれた。ここでの出会いは全てがキラキラ輝いてた。個人賞をくれたサカベミキオさんが作っている靴は可愛くて面白くて、サカベさんと飲むお茶はとっても美味しかった。こだわっている大人のかっこよさに触れた。

演劇は本当にたくさんのことを私にくれた。

私は演劇をやめる。人生でできた友達のほとんどは演劇人で、人生でできた恋人も全員演劇人で、人生で達成した多くの物事は演劇でのことだったけど、私は演劇をやめる。『今』の私がやるべきことをやるために。演劇をやめても私は続く。芸人になる。劇作家のままでいる。演劇をやめても私は私だ。だからどうか、友達よ、友達のままでいて。なにも変わらないから、いつもみたいに飲みに誘ってね。

これからの人生も楽しく生きていきます。

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