教員の優秀さ 給料の上げ方 とは

2022年2月

大学3年のときに決めた学校の先生という進路
子供と接していると楽しい
数学を教えているとおもしろい
きっと、他の仕事よりも楽しくて時間があっという間に過ぎて
正直、めっちゃ向いていると思う。

ただ、俺は優秀な人間
無能で、何も考えていないような先生はたくさんいる
そんな人と同じなのはすごく悔しい
どんな教員でいるかは個人の自由だと思うけど、その人と同じ給料のなのは
すごく納得がいかない
俺自身、「いい先生」になるために努力をしている

子どもたちとの信頼関係の形成、丁寧な保護者対応、
校務分掌の仕事の高い質の成果、教員同士の人間関係形成
部活動での立ち振舞
あげればきりがないほどに俺はいい先生である

でも、結局は年功序列
教員は目に見える成果を上げることができない
→因果関係がはっきりできないから
どれも曖昧で目に見えることができない
「子供成長」「学力の上昇」
どれも子供や周辺の人間しか気づけない
→得られるのは「子供の感謝」「親の感謝」だけ

これを社会は評価してくれない
これを管理職は評価してくれない
→俺の能力を社会は評価できないし、それをする仕組みが少なくとも学校にはない
きっと多くの教師はそれでいいのだと思う
「やりがい」という言葉でそれをすべて無視し、成長する意思がない
俺は、「俺自身が成長できた」ということを実感するのでは満足できない
優秀な人間が実際に子供にいい影響を与え、良い授業をしているのに
何も考えていないようなやつと一緒なのが納得できない
→それに見合った報酬があるべきだし、それを求めるに値するくらい優秀
正直、今の学校の先生で優秀な先生はいるだろうか?

結局、今の環境じゃすごさははかれない
だからこそ俺は全員しょぼいと思ってしまう
授業アンケートもせず、自分の授業を改善しようとしない人は成長しない
→だってだれも見に来ないもん、好き放題やっても問題ないやん

それで結局成果をあげられない
→全部生徒のせいにしているようではだめ
→結局、先生と学校の方針が正しい必要があると思う
→うちの学校はその方向性に納得していない人が多いはず

次の考えている学校ははその点、しっかりと学校全体で成果を上げている
→学校の方針はもちろん、教員も優秀な人がいると思う
→そこで俺はたくさんのものを感じたい

うちの学校は
①「優秀な人間→給与を高める」という思考に至っていない
②「優秀な人間→給与を高める」という思考には至っているが、それを評価する仕組みがない

そもそもに、なぜ優秀な人は給料が高い?
それも先入観ありきかもしれない
優秀な人は首にしたくない
→自分の手駒としておいておきたいからこそ、離さないために給料が高い

感覚としては野球選手とかだと思おう
いい条件の年俸をもってオファーがくるからそれから選ぶ
俺も、引っ張りだこになりたい
俺を求めるような魅力のある先生になろう
校長の話だと「気に入られることが必要」って言ってた
そんなおかしい
結局は、コネだし賄賂だしって話ですか?
校長は「評価していないわけではないし、それを見せていない学校」って言ってた
俺はK先生(同期)とかより評価されていたのかな?
評価を見せないってのは、学校としてはプラスにはならない気もするんだけどな、、、。
じゃあ、今後社会的に評価されるような俺の成果はなんだろう?
優秀な教員ってどんな人だろう?

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