一人旅紀行静岡 神様の眠る國


一日目 三島・裾野・沼津

久しぶりの旅に私の心は浮足立っている。
普段忙殺される日々に追われている私は、伊豆行きの切符を手に取りローカル線に乗り込んだ。

旅の玄関口は三島。
初めに、パワースポットとして有名な三嶋大社に足を延ばした。
鳥居をくぐると静謐な空気に包まれていた。朝早かったこともあり人気がなく、ああここは聖地なのだと感じられた。中は鬱蒼と茂る緑に覆われ、八月中旬の暑さの中でその空間だけさわやかな風が吹いていた。手水を手に取り水を手にかける。三島の水は冷たく私の手を癒してくれた。この水は富士山から繋がっていたりするんだろうか。水をかけ、不浄なものを流し手を清めた後に、本殿へと向かう。
律儀に参拝の仕方をスマートフォンで検索し、神の御前で仕事が上手くいくよう祈る。
「仕事がうまくいきますように。あとそれから、健康にいつまでもいられますように。平穏に過ごせますように。あとそれから……。あ、やっぱり欲張りなのは良くないので仕事が上手くいけばひとまずはそれで充分です。お願いします」
まるで知り合いに語り掛けるような口調で神様にお願いした後、一番会いたかった生き物を探しに歩を進める。
地図を見ながらその場所を目指すと広めの柵の中に彼らはいた。
鹿だ。看板の説明によると、春日大社からもらい受けてきた鹿らしい。彼らは奈良出身なのだ。
柵の中には三匹ほどしか鹿はいなかった。木陰の下で、気怠い表情を浮かべながら、カメラを向けるとやはり気怠そうにこちらをじっと見つめてきた。
「ニンゲンや。こんな暑い中こんなとこよう来たなあ。なんかカメラ向けてきとるし暇だし相手するかあ。っかぁ~たり~。動きたくねぇ~。暇~。なんやねんこの暑さは~。アホちゃうか~。カメラ向けてるお前もアホや~。もうニンゲン皆アホや~。こんなとこに閉じ込めおって~。紀伊の森に帰りたいねんアホ~」
なんて声が聞こえてきそうなほど気怠そうな顔をしていた。木陰の下で涼をとっていたあいつは、絶対人間でいえば中年に差し掛かったおっさんだな、そんなことを考えながら三嶋大社を後にした。


 少し歩を進めて、目的の雑貨屋へと向かう。小さなアパートの一室にその店はあった。狭くて少し急な仄明るい階段を上がり、扉を開けた。開けると、狭い空間の天井にドライフラワーが下げられていた。ドアの向こうにドアがあるなんて、秘密の隠れ家みたいだ。どんな空間が広がっていてどんな人が営んでいるのだろう。もう一つ扉があったので期待を抱きながらドアノブを捻り中へと入る。
 開けると、電気はついていないが光が差し込む明るい空間が広がり、奥のほうから「いらっしゃいませー」という女性の声が聞こえてきた。
店の名前は「sora」。中は白いアンティーク調に剥げた壁が張られ、ギャラリーが広がっていた。作家のつくった陶器や金古美のアクセサリー。花を模した彫金。そんな作家の手から生まれた品々が棚の中に静かに佇んでいた。
都会のカラフルな色に囲まれた雑貨屋とは違い、色彩は薄い。だけど、落ち着く。早朝の薄明るい空気の中にいるような気分になった。森の中の朝の澄んだ空気がそこには流れている。そんな雰囲気だった。
センスのいいものに囲まれ、それを買わずとも眺めているだけで気分は良くなる。それでも、迂闊にも一枚の皿に愛着を感じてしまった。そして、長崎の作家によって生まれた黄橡色のシンプルだけどかわいい皿を手に取り、買ってしまった。それからお店のオーナーからここらへんは地形が面白くて、溶岩の跡が町の中に残っているんです、そんな説明をきいて店を後にした。


 クレマチスの丘を目指して、三島駅から裾野へ無料送迎バスで向かう。
まずは「Izu Photo museum」へ。


星野道夫展が開催されていて、あ、この人の写真すきだな、と感じた。野生の中で生きる動物たちの一瞬一秒を切り取った一枚の紙の中に壮大な生命のドラマが広がっていた。
星野道夫。動物写真家としての一生にすべてを捧げ、動物たちと同じように自然の中で生きたひと。最期はヒグマに襲われて亡くなってしまった。命を賭して遠くの世界で生きる人々に感動を送り届ける仕事。自然に選ばれた者だけが、その仕事に就くことができる。そんなイメージを感じ取った。自然のありのままの色彩がそこには写し取られていて、地球にはまだこんなに美しい世界があることに安堵するとともに、自然が貴重だから持て囃されることにすこし悲しくもなった。そんなことを思ってみても、私たちは業を背負って生きていかなければならない人間だ。生きるしかないなら、自然のために少しでも貢献していくしかない。そう思った。


ヴァンジ彫刻庭園美術館の中へ。彫刻たちの顔はどれも間の抜けた、でも優しそうな顔立ちだった。アニメに登場しそうなおどけた顔立ちと、躍動感のある造形美が一体となったような不思議な世界。入り口の通路に光がさしていて思わずカメラを向ける。通路に生けられていた花にもシャッターを押す。カメラの設定そのままで撮ったけれど、絵画のように撮影できた。
「ミテクレマチス展」が開催されていた。ネーミングに笑ってしまったが、作品はどれも素敵だった。館内に隠された蓮の花の彫刻を探しながら鑑賞するというスタイルで、製作者のお茶目さが垣間見れた。
小腹がすいたのでピザの店「CIAO CIAO」へ。「パターテ」というアンチョビ、ジャガイモの入ったピザと、「プラーニャ」というノンアルコールの梅カクテルを注文する。名前がオシャレすぎて何が何だか、と思いつつ、待つ。運ばれてきたピザは、直径30㎝だった。気にせず、タバスコをかけて完食。一句。
「一人旅、 女子力それは 忘れたよ」
 店員のおじさんが、メニュー要りますか?あ、でももうお腹いっぱいですよね......、と私に声をかけた。へへ……。おいしかったです、ごちそうさまでした、と告げ、店を後にした。


 沼津へ向かおう。と考えるも、やっぱり思い残したものがあって再び三島へ。
目指したのは源平衛川。電車を使い向かう。駅からしばらく歩くと、そこは水遊びをしに来た子供たちで賑わっていた。その中に紛れ込む、今年24歳の一人の女。しかも水浴びする格好でなく、両脇に重そうな荷物を抱えている。川に落ちそう。我ながらプチ不審者だったと思う。それでも、カメラに景色を収めたかったし、ちょっとだけ童心にかえりたかった。暑かったし、水にふれたかった。旅は人目を気にするという文化的に生きる人間の本能を消し去って心を解放してくれる。今私の心は生まれたままのはだかんぼ。すんばらしい!そう言い訳しながら奥へ進んでいった。


石渡りするなんて何年ぶりだったかわからない。水はとても澄んでいた。入り口は子どもたちの声で賑わっていたけれど、奥のほうは人が少なく、水の音がした。さわさわ。木が日の光をさえぎって涼しさをもたらしてくれている。街中にこんな場所があるなんて羨ましかった。
次に目指したのは、柿田川湧水群。柿田川の水は、ランクで言うと一級なのだそう。富士山と繋がっているらしい。流域には、カワセミやゲンジボタルなどなどが生息するそうだ。湧き水を見に行くと、吸い込まれてしまいそうな碧さだった。日の光が差すと碧がかった青色になり、とてもきれいで15分ほど見入ってしまった。

 ようやく沼津へと向かう。深海水族館に行ってシーラカンスの標本やダイオウグソクムシを見たかった私は閉館に間に合うように急いでタクシーに飛び乗った。運転手さんが近道廻って急ぎますね、と言ってくれた。
そして、水族館についた。
私の目に入った「本日は閉館しました」の文字。閉館30分前に入場できなくなってしまうらしかった。思い通りにいかないこともあるという旅の残酷さを噛みしめ、撃沈した私は
夕焼けを見るために防波堤の方へと歩いて行った。
日没を待ちながら、海辺を散歩する。潮風が心地よかった。夕陽が差してきたときにカメラのシャッターを押した。
その後、腹を満たすのが今日一日の最後に私に課せられたミッションだ、と思いまっすぐ「浜焼や しんちゃん」へと入っていった。
お酒呑まないですけど大丈夫ですか、といって入ったけれど快く迎えてくれた。注文したのは蟹みそ、さざえの壺焼き、鯵のお造り、もずく酢、生しらす、そして深海魚のめぎす。深海水族館に行けなかった代わりに、深海魚を頼んでみた。どれも、地産地消の味がして、疲れた体に染み入った。おいしすぎた。めぎすは脂がのった白身魚で、また今度食べたいと思った。ここまでたどり着いてよかった。今日一日これを食べるために疲れたんだ、そう思わせてくれた。


その後、のんびりしすぎて終バスをのがした私は、またタクシーを呼んで宿のある修善寺に向かった。予定時刻を2時間30分ほど過ぎてから「湯の宿 花小道」へとチェックインした。


江戸川乱歩が愛した宿、というだけあって少し不気味な感じはした。何も描かれていない掛け軸の裏は捲らないでおいた。テレビもわざと「おしゃれイズム」をつけっぱなしにしておいた。貸し切り露天に入りたかった私は予約表に名前を書き、「星の湯」へ。天窓がついている露天で、小さな空間ではあったものの、落ち着いた。貸し切りで時間が限られているので、少し考え事をしてからさっと湯から上がった。もう一つの外にある「月の湯」に入れなかったのが口惜しかった。
インスタントラーメンを食べながら、明日の予定を立て、浴衣のかわいさにうきうきして……とそんなこんなしているうちにさっき感じた不気味さは感じなくなっていた。
夜食でお腹も満たし、予定も練り直すと私はテレビを消し、枕もとの明かりだけつけて今日一日目だけど最高だったなあ、と思いながら眠りについた。

二日目 修善寺・伊豆高原

朝日を浴びる。
エアコンが途中まで利かずに蒸し暑い空気に包まれ、掛け軸の裏からは何かが出てきそうで少し怖かった部屋に、爽やかな空気が流れてきて、昨日までのハラハラ感はもう消え失せていた。わくわくした気持ちを抱えて、部屋のドアノブに手を掛ける。
窓の外には湯煙の立ち上る修善寺の町。



一人旅の私にハラハラドキドキ感をくれた宿に別れを告げて、涼しい空気のもとへ出ていく。
竹の小径を闊歩する。ここは小京都だ。歩みを進めた先にあった平たくて滑らかな岩の上に寝ころび、竹林を見上げる。澄んだ空気も、気持ちいいくらいの緑色も、すべて体の中に吸い込むつもりで呼吸する。



歩みを進める。橋の上からは流れる川が見える。昨日の三島と同じく、やっぱりきれいな水だ。
予め調べていた「竹の里 水ぐち」へ。朝早いこともあり、客は私一人だった。
若いマッチョのお兄さんに抹茶かき氷を注文する。トッピングは旅だから自分にめいっぱい甘くする。甘くなるように、白玉、きなこ、あんこ…と、相性のいいものは全部頼んだ。
座席はもちろん川の眺められるテラス(?)席へ。特等席だ。流れる水の音をBGMに、朝の光を浴びながら冷たい氷を口へ運ぶ。清廉な水から削られた氷は音を立てずに舌に溶けていく。優しい甘さがからだに浸み込む。風は揺れている。草はなびいている。

街へ出る。ウィンドウショッピングならぬのれん巡りで試食の温泉饅頭を手に取る。それから修善寺へ出向き、昨日三島で神様にお参りしたにも関わらず、ここでも神様に挨拶した。おみくじを引く。結果は末吉。天の声は当たっているような、当たっていないような微妙なラインをついてくる。ただ、宛にしてその助言に従っても、困ることはなさそうだ。


駅へ向かう途中の道のわきに、ぽつんと佇んでいる精肉店ののぼりが目に留まる。「パワーストーン専門店」。いやいや、どっちだよ。趣旨がわからない謎の店は観光地あるあるだ。
駅について電車を待つ間に、わさびソフトを興味本位で食べてみた。期待を裏切らない、美味しくなさ。でも、これで、いいんだ。無意味なことをしてみょうちきりんな愉悦に浸るのが旅の醍醐味。無駄の中にこそ、楽しみはあるものだ。

電車に揺られ、さらにバスで陶芸工房のある「理想郷東口」駅へと向かう。バスは地元のおばあちゃんが親切に教えてくれた。工房近くの定食屋で腹を満たしていたら、隣で外国人の夫婦が「日本の食べ物は独特だね」なんて話していた。

「えんのかま」へ。予約していた旨を告げ、棚に並ぶ釉薬を吟味する。私が予約していたのは手びねりだ。ろくろよりも難易度が高く、その分個性を出しやすい。体験に来ていた親子と一緒に作り方を正座して教わる。人からものを教わるのはなんだか久しぶりな気がした。親子はここにくるのは何度目かになるそうだ。マグカップを作り、ソーサーにとりかかる。少し個性を出したくて考えていると、手首のブレスレットが目に入った。ブレスレットの紋様をソーサーの円の外側に押し当てて跡をつける。世界にひとつだ。色は先ほど吟味して選んだ釉薬の白と薄浅葱色を選んだ。届くのがすごく楽しみだ。

バスに乗り、シャボテン公園へと向かう。ひとり動物園だ。多肉とカピバラ、などなどの楽園。でも、私が会いたいのはカピバラではなく、ハシビロコウだった。鳥たちのいるスペースに足を踏み入れ、微動だにしない一つの影が目に入った。やっぱり。噂通り、微動だにしない。でも、うまく言えないけど、たまらなくかわいい。そう思った。可愛いと思うことにきっと理由なんてない。トリニケーションを一方的にとり、私は満足してその場を立ち去った。

夕陽が落ちてきたので、 急いでバス停へ向かう。お土産屋さんではハシビロコウのマスコットに目を奪われたものの、手元に残るものはなるべく旅先では購入しない主義なので、さぼてん水を買った。多肉植物だからきっとアロエみたいな味がするのだろう、と思っていたけれど、美味しいものではなかった。旅においては頭がふわふわしているので、普段絶対に買わないようなものを手に取り、してやられる。修善寺のわさびソフトもそうだった。こんにゃろう。

バスから伊豆高原駅で乗り換え、下田に向かう。到着したころはもう日は完全に落ちて辺りは暗かった。
潮風と生暖かい夏の風。港のある町、下田。



お盆休み中ではあったけれど、人気は少なかった。Googleを開いて「下田 食事」で検索する。居酒屋が多くヒットした中に、おばあちゃん家の台所みたいな、定食屋が目に留まる。オシャレなところよりも、素朴であたたかみを感じて、その土地のものを味わって、一人で旅をしている少し寂しい私と会話をしてくれる誰かがいる場所に行きたいと思っていた。他のお店も何件かあたったけれど、全部休みだった。空腹の中での希望を見つけた気になって、「黒船屋」へと向かった。

店に入ると、厨房から少ししゃがれた「いらっしゃいませー」が聞こえた。厨房で忙しく働くのは、50~60代くらいのおばちゃん(おかみさん)、ちょっと愛想のない(おかみさんには横柄だけど客には親切だった。謎。)40代くらいのアジア系のおばちゃん、そして、50代くらいのおばちゃん2だ。旅人は今にも空腹で倒れそうだ。カウンター席の町人Aの隣に座り(敢えてカウンター席を選んだ)、壁のTVで流れるローカル番組の音を聞きながら、メニューを開く。店内は酔っぱらって笑う地元のおじちゃんと、地元の、旅人よりすこし上くらいのカップルの会話、ローカル番組の音、厨房のおばちゃんたちの声や音で賑やかだった。カウンターの上にはおばあちゃん家にある、気取らない醤油瓶、くたびれてるのに可愛い花柄のティッシュカバーがかけられたティッシュが並んでいた。親戚の家にお相伴にあずかりに来たみたいな気持ちになって、ほっとした。御殿場の父方の親戚の家を思い出した。そうだ、おばあちゃんのかわいさってこんな感じだ。声を大きめに、タコの吸盤上げとカキフライ定食を注文した。実家に来たみたいな居心地の良さ。
運ばれてきた揚げ物を箸でつまんで、口に運ぶ。さくさく。揚げたてのカキフライと吸盤上げが楽しい音を立てる。旅の楽しさは、こういう地元民とのふれあいにもあると思う。

食べ終わり、コテージへ夜の海を眺めながら向かう。泊まる部屋は人魚の部屋みたいだった。


三日目 下田

朝はあいにくの雨だった。ペリーロードを散策しながら、老舗のお菓子屋さんへ立ち寄った。手作りのでこぼこのクッキーの形が逆に面白い。お菓子の横には古びたアクセサリーが並べられていた。趣旨がわからない謎の店は、店主の好きなもの兼思い出ボックスでもあるのだと思う。

「カフェ どさんこ」に向かう。季節の有機野菜パスタを注文した。沢山の野菜たちは眼でも舌でも楽しませてくれる。会計では「1100万円ね!」と言われ「1100万円です」とボケ返しした。浜っ子のお茶目さが伝わってたらいいな、と思う。私の首元にあったガラス玉のチョーカーを見た店主らしき方が「それ、松崎のネックレスよ」と教えてくれた。デザインフェスタで作家さんから購入したものだったのだけど、そうだったのか。旅先での不思議なご縁を感じ、嬉しくなって店を出た。


「フルーツハウス おおかわや」へ。季節のパフェを注文すると芸術的に盛り付けられたパフェが出された。想像していたものといい意味で違っていた。パフェは、店主のおじちゃんが注文を受けて丹精込めて丁寧に作ってからお客さんの前に出してくれる。メロンクリームソーダは白かった。店主のこだわりと想いがいっぱいにつまったお店。チェーン店みたいに早くそれなりに美味しいものが食べれるのとはまた違う、気持ちの籠ったお店に出会えるのも、旅先ならでは。パフェを出してくれたおじちゃんによると、国民宿舎もなかなか良いスポットらしい。
 横のテーブル席に座っていた夫婦が、「俺今まで何も極めたことない」「ポケモンとかも極めてたらこんなとこ座ってないよね」「ビキニ着ないの?どうにかしないと俺、腹どうにかしないとやばい」なんて会話をしていて、あーいいなあ、こんな夫婦になりたいななんて思った。


 再びペリーロードを歩いていく。倉敷で目にしたなまこ壁が並んでいた。港町らしい、道端のモニュメントや壁の、知らず知らずのうちに町のアートになっている色々たち。


海辺の岸壁の上に立つ白濱神社の鳥居を見たくて向かったけれど、やっぱり空模様は不機嫌なまま。恋神籤を引いて海辺へ向かって晴れるのを待ったけれど、結局お天道様が顔をのぞかせることはなかった。
帰路では、タクシーを利用するのは断念して、バス停まで徒歩で1.5km雨の中歩くことになった。雷も鳴っていた。バッテリーもかなり充電を減らしていた。時間との戦いだった。

なんとか駅まで着くと、もう辺りは暗かった。もう帰らなければいけないことが名残り惜しくて、さざえの壺焼きを店先で売っているおばあさんからさざえを買った。知り合いが横浜にいるのでたまに行くらしいおばあちゃんの手は暖かかった。

旅は出発してから到着するまでが旅だ。必需品であるガイドブックと充電器を忘れる痛恨のミスをしたし、最後の最後で雷雨に襲われ、ケガもしたけれど、それをカバーして楽しくしようと思える旅だった。
旅をすると強くなれる。今では、体力温存に大貢献した無印のスニーカーが以前よりもお気に入りだ。
男気と女子力を両方持ち合わせていたいと再確認した、一人旅だった。


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