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働き方 - 「日本と日本人への10の質問」

さて「日本と日本人への10の質問」、「格差社会」に続いてのお題は「働き方」。その次が「教育」となっている辺り、塩野さんらしい並べ方かなぁ、と、なんとなくですが。

■ 働き方

大上段に「働き方」なんて言うとなんとなくコソバユイ感じもしますが、自分が「何のために働いているのか」というと、直接的には「生きていくため」「命をつないでいくため」「単純に楽しいから」、といった辺りでしょうか。とはいえ、どうせ働くならストレスは無い方がいいですし、自分にとってモチベーションが上がる方がいいのもまた、確かだと思います。

では、どの辺にモチベーションを求めるのか、なんて考えていくのであれば、個人的には「何かしらの手応えが欲しい」が「働く事」のモチベーションの起点かな、と漠然と。手応えの具体的な実例となると「物理的な成果物」や「(サービス)利用者からの反応」等々、人それぞれ、千差万別にあるとは思いますが、ある意味で多様性の範疇ですかね。

私自身、大学卒業から15年ほどはSE(システムエンジニア)として働いていました。どうもプログラマーとしては向いていなかったようで2年ほどで上流工程に集中するようになりましたが、その後しばらくして会社を移り、そちらでもSEとして大手銀行やEC系のシステム構築に携わったりしていました(今でも、石川県庁での仕事は面白かったなぁと、寒ブリの美味しさと共に思い出したりもします)。

卒業してからも、いつかどこかで「生涯学習分野(できれば図書館系)」に何らかの形で関わりたいたいなぁ、とは考えていたのは事実です。その後、2011年の東日本大震災を一つのきっかけとして、通信課程で司書関連の資格を一通り学び、その上で、図書館との縁を探したかったとの点から某高等教育機関の事務職として10年弱、携わっていたりもしました。その後に体調等の兼ね合いもあり、今現在(2024年)は公共の生涯学習施設の雇われ館長として拾っていただいています(定期通院大事デスヨ)。

ちなみに、家内が安定した企業で働いてくれているというのが、業種も含めていろいろと移れている大きな要素と考えていて、本当、感謝しかないです(この先、どこかのタイミングで単身で東京を離れる時期が必ず来るとの家族事情もあったりはしますが)。

いつの世も、失業問題は国家を揺るがせかねない大問題でした。

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

そんなこんなで社会に出て約25年、転職時は「間をあけない(次の職場を決めてから退職)」は意識的にしてきたと思います。これは特に私の世代だと、会社に入っていわゆるサラリーマンとして働く場合、正社員と非正規社員という立ち位置の違いが「格差」の象徴の一つともされているからかな、と個人的には(自営業やフリーランスの方であればその限りではないと思います)。

日本の社会では昔から「正社員」であることがステータスの一つともされていいて、私自身も某大手銀行のシステム構築に関わった際に、その仕事場では「派遣」としての立場で携わった経験もあり、扱いの差はそれなりにイメージできます。自分自身の「仕事に対する目的意識」がしっかりしていれば、勤務形態の違いに「格付け」をする必要もないとは思いながらも、、確かに同じ職場で同じ仕事をしていても、双方ともに意識の乖離はあったかなぁ、、と、責任分界点の違いもあるとは思いますが。

失業とは、生活の手段を奪われるだけではない。その対策ならば、福祉政策でカバーできる。最大の問題は、仕事を失うことによって、人間が自分に自信を築くチャンスまで奪われてしまうことだ

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

そういった意味では、塩野さんが「腑に落ちた」と仰っている「仕事を失うことによって、人間が自分に自信を築くチャンスまで奪われてしまう」とは納得がいく見方と感じます。自信の有無は仕事のにも直結するでしょうし、、もっとも、根拠のない自信だけが先行するとそれはそれでアレな結果になりますが、、そういう方に限って、他責性が強かったりするんですよねぇ、年齢・年代・性別を問わずに。

「世の中でやっていいことといけないことの区別がつく」と思うかどうか。これに関し、社民党支持者は「そう思わない」「あまりそう思わない」が合わせて14.8%いました。自民党支持者では3.8%です

出典:「社民党を支持する新入社員の思想・性格・傾向性」
(『国を憂い、われとわが身を甘やかすの記』2007年7月6日)

それでふと思い出したのですが、2007年当時、産経新聞の記者でおられる阿比留さんの blogに興味深いエントリがありました(引用元はアーカイブ記事です)。あれから20年近くが過ぎていますが、、当時の社民党支持者に類する人々は今現在はどこに棲息しているのでしょうか。そのまま継続している方もいるでしょうが、れいわ新選組や日本保守党、公安監視対象の日本共産党の(盲)信者らへんと、排他性や攻撃性、また著しく遵法性に欠ける仕草が似ているように思えて仕方ないのですよねぇ、、なんて余談です。

何はともあれ、仕事をしていくのであれば、「何のために」という「目的」も見失わないようにしていきたいな、とは、今でも変わらずに。どうせなら「何かしらの手応え」を見出せる方が面白いですし、「社会的有用性」も感じられる方が自信にもつながっていくのではないかな、なんて思うと、塩野さんのこういった提案には結構賛成できたりします。

現実的なのは、契約社員と終身雇用社員に分けて雇用するというやり方

「上下」ではなくて「並立」になるこの仕組みが機能するようになれば、これまでは一つの会社、一つの業種のなかで沈滞していた労働力が、流動性をもつようになる。

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

日本も戦前は仕事の複線化はもっと一般的だったと思いますが、戦後は、複線化、副業はマイナーな形となっています。人的資源の一極集中が必要であったとの時代の必要性もあったでしょうけども、今現在の選択肢が増えている状況の方が個人的には面白いかな、とは。

この辺り、マイナンバーを上手く活用すれば、雇用保険等の切り替えのコストも下がるでしょうし、納税や年金等々への反映も楽になっていくのではないかな、とか考えると、マイナンバー(&カード)に反対している理由は、なかなか深い闇を抱えているケースもありそうですが、これはまた別の話題ですね。

定年後の人たちでも、まだまだ働きたいという人は、これまでの週五日勤務ではなく、契約社員という形での週二日とか三日の仕事につく機会も増える。もしかしたら、その仕事を定年後の人と、学校を卒業したての若者がシェアするかもしれない。こういった積み重ねが、労働力全体の活性化につながるのではないか

出典:「日本と日本人への10の質問」 / 『文藝春秋(2007年7月号)』収録

ここ最近、今の職場、異動前の職場を含めると、下は10代から上は80代まで様々な年代の方々とお仕事をさせていただいています(学生アルバイト、定年後のパートさん、正規職員さん様々に)。もちろん、20代や30代、自分と同世代の方もおりますが、「何のために」との目的を共有できていれば、その実現方法や距離感、価値観等に多少のズレがあっても、落ち着いた雰囲気で仕事はできているかなぁ、と、個人的には。まぁ「いつか来た道、いつか行く道」との視座は忘れないようにしたいなぁ、との自戒も込めて。

ちなみに、働かずに済むならそれはそれで嬉しいかなと思う一方で、家に籠り始めたら2週間で飽きる(ボケる)だろうなぁ、、とも。そういった意味では、身体が元気なうちは何らかの形で「仕事」はしていきたいですねぇ、、ボケ防止のためにも。とりあえず(老後の)夢の一つは「図書館で働きたいなぁ」です。

「働き方」についてはこんな感じで、次は「教育」の予定です。

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