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ピンチをチャンスに、だなんて

こんにちは。
久しぶりに時間に余裕ができたので、つらつらと書いていければと思う今日この頃の俺だ。

活動再開、と称して自身の音楽プロジェクトTurns blueを再開させたのが、今年の1月で、あっという間に10月。
周りのバンドがライブハウスに突進している中で、相変わらず静観・停滞という有様。かつてない危機感を感じている。

それはそうと、ようやくこの間「水曜どうでしょう」の新作を見ることができた。言うまでもない有名ローカルバラエティだが、
今回の新作は「北海道に家を建てる」という数年に渡る長期企画だった。ミスターこと鈴井貴之の自宅がある北海道の赤平に、小さな小屋を作るという。

今までは奇天烈な企画をしたり、明らかに何かが起きそうな場所にとりあえず突っ込んでいく予定調和ぶち壊し感、そして「主演」大泉洋を毎回騙しに騙して企画に引きずり込む演出が面白かったものだから、はてさて、今回はどうなるのだろうと少し不安になりながら見始めた。

じゃあ実際見てみてどうだったかというと、
単純に「家を建てる」以外に仕掛けの構図がないものだから、
出演者ディレクターがわちゃわちゃしながら、なんとかして「家を建てる」という縦軸の外で面白いことをしようと必死になっている様が確かに笑えたし、劇的なことをしなくてもいい、というある種のシフトチェンジも感じた。でも何かが足りない、、(ような気がしていた)

この新作のキャッチの一つが
「水曜どうでしょう迷走中」
的なものだったと思うけど、確かに迷走しているのかもしれないな、、
今作は、長く番組を作ってきた彼らの迷走のドキュメンタリーだと思えばいいのか、と思い方を変えて見続けることにした。
企画が面白くなるかどうかもわからないし、劇的さも保証されてないのに放送しちゃうなんて肝が座っているし、ピンチをピンチとして流すことにしたんだろうな、その位に思った。

よく「ピンチをチャンスにする」というようなポジティブの塊のような言葉を耳にする。こと、自分の現状を見るに、とてつもなくピンチだ。日々どんどん忙しくなり、自分の中で絶対的なものだった創作活動と距離を置かざるを得なくなっている。自信はなくなっていくし、生活から消えたことでそれが絶対的な軸だったと気づくし、自分がいつか死ぬと想定した時に、どう道を設計していくべきなのか、頭を抱える。
ピンチをチャンスにする、、そんなものは果たしてあるのか。
野球ならノーアウト満塁からのトリプルプレー。
サッカーなら後半ロスタイムでの大逆転。
その確率を考えた時に、
ピンチがチャンスに変わることなんてそうそうないんじゃないか?
そう思ってしまう。

僕は今、水曜どうでしょうよろしく「ピンチをピンチのまま」
包み隠さずみなさまにお届けしたわけだが、これはエンタメになっているのか?ただの愚痴に見える。
そう考えると、水曜どうでしょうが作った「ピンチをピンチのまま見せるエンタメ」はある意味すごかったのかもしれない。

でもどうでしょうはここで終わらない。さらに大きな「ピンチ」が待ち受けていた。多忙の大泉がいない間に、企画の根幹を揺るがすほどの「ある大事件」が起き、頓挫してしまう。
他のメンバーはそれを大泉に隠し続けることを決意し、家が完成するまでの2年以上隠し通した。そんな企画が途絶えてもおかしくない大きなピンチを、要である大泉に隠し続け、2年越しにバラすことで壮大なフリにして回収する。
鮮やかなまでに「ピンチをチャンス」にしてしまった。

まぁ笑ったわけで、完全に一本取られたが、そのあとになぜか
「この人たち、羨ましいな」思ったわけだ。

要は何かまずい状況に遭遇した時に、
それをどう捉えるかってことなのだろうとは思うが、
そこにはいくつもの手段があるのだろう。彼らは発想の転換をして大きな笑いに変えた。そんなおじさんの姿が少し眩しく見えたのかもしれない。
今の自分には、この停滞した状況を変えるための手段に何があるだろうか?

真面目な人間は、Aというフィールドで起きたことをAで解決しようとする。でも人間はいくつもの環境にいて、BもCもある。
そう考えた時に、Aで起きている手詰まり感をBで解消したっていいわけだ。そんな当たり前のことを、僕はすっかり忘れいていたようだ。

僕にとって今必要なのは、「抜け道」であり「逃げ道」なのかもしれいない。もっと正確に言えば、山道とかで万が一事故った時に突っ込める土の待避所みたいなものが必要なのだと思う。

多分突っ込んだ先にあるのは、音楽だし、文を書くことだし、
ものを作ることなんだろう。

いずれ僕は土の待避所に盛大に突っ込むだろうから、
その時のインパクトで何が生まれるのか、少しだけ楽しみになったし、今の情けない現状が少し受け入れられた。

実際にその衝撃波を感じた時に、
「ピンチがチャンスに変わった」と少しだけ思うのだろう。

この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。