タカハシナオキ
エンドレス、続いてく。 センスレス、諦めが、 エンドレス、まだ青い僕には見えなくて。
離れたいのか、歩きたいのか、 問うているうちに月は沈んでいく
ひたすらの青に、少しの黒を加えては。
繰り返す同じ毎日は、無限観覧車みたいだ。
どこにでもいる大学生の不器用な四年間にピリオドを打つためのエッセイ
1/15、DAYBRK.にお越しいただいた皆様 ありがとうございました。予想以上にたくさんの方に来ていただき、驚きとともに充実の1日だった。 なにより、我々ホスト3組が心から好きなゲストの2組を多くの人に見てもらえたことが、このイベントをやる1番の意味。そしてこのイベントがどう醸成していって、ホスト3組がどう変化していくか?それを定点観測するのも面白いイベントだと思う。 そういう意味で、イベントをある意味ブランドのように捉え、このイベント自体を好きになってもらえる人が増えた
今回はいつもと趣旨を変えて、DAYBRK.第3回目にむけ、このイベントの趣旨やゲストバンドに関して、僕なりのおすすめやポイントを拙文ながら書かせていただこうと思う。ひとつお付き合いいただけると嬉しい。 1.DAYBRK.についてDAYBRK.は2020年の1月からkanata、Cynical Animal Youth、Turns blueの3組で始めた音楽イベントだ。ある日の打ち上げで、なんとなくどんなイベントにも入れそうな音楽性の3組だけど、明確になじめるシーンがあるわけ
2024年。 今年は1日から色々なことがあった。 “いつなにが起きるかわからない”という視点で見ると、悲しいほどに等しく全ての人にその可能性がある。“今日を人生最高の日にしよう”という、成長主義のマッチョベンチャーマンが発する言葉も、あながち間違いじゃないと思ってしまう。 実家に帰り、両親や祖母が少しずつ、 しかし確実に抗えない老いを実感していく。 より身近なところでも感じる、未定の明日への寂しさや不安。遠い場所での災害や事故もあり、よりそんなことを強く感じる年明けだった
noteなんか書いている場合じゃない時こそ、 noteを書きたくなるという大いなる矛盾をはらんで、はや幾年。 もちろん今も書いている場合ではないくらい公私とも忙殺されている。 やることが終わらなさ過ぎて入ったコメダ珈琲下北沢店で、 気づいたら書き連ね始めている。 今日はこれを読んでくれているみなさまに、少しパーソナルな話を。 僕の内側の葛藤もきっと誰かの何かのたしになるという、少しの善き心と、 これを話さないとおかしくなりそうだけど話す相手がいないという、 大きな危機感
お久しぶりです。 いよいよ、自分の本音を書けるのは、 歌詞とnoteくらいになってきた。 昨日バンドメンバー2人で久々に顔を合わせ、最近の話や主におれの相談事をうんうん聞いてもらいつつ、またここから頑張ろう、と話した。 完全にペースがひと売れした後のバンドのそれだが、やめなければきっとチャンスはある。なにより僕は、大切仲間と一生表現していくためにバンドというおもちゃ箱を大切に抱えている。 過度な無理は禁物。でも適度に無理して、自分たちの音楽をまだ出会っていない誰かに届け
少し遅めのご挨拶。 本年もどうぞよろしくお願いします。 2023年は、端的に躍進の年にしたいと思っている。 Turns blueは、自分の表現は、今年間違いなく前に進むと思う。 いや、いい加減前に進まなければならない。 ”平凡を愛せ、鮮やかに化かせ” 元旦に今月のプレイリストを考えていた時にふと降りてきた言葉。 生活は大概が平凡で、平熱で、計測メーターが触れたり壊れたりすることはあまりない。でも何かに夢中になったり、誰かを本気で好きになったり、そういう心が内側からじわ
0.過去を見せ合うということ みなさんには、目を背けたいような過去はあるだろうか?もしくは今の自分が、「どうしてこうなってしまったのだろうか?」と後ろ向きな自問自答に襲われることはあるだろうか? ひとつやふたつはそんな経験がある人も、きっといるのではないかと思う。むしろ僕はそういう人の方が信頼できる。 決してひけらかすのではなく、 話していくうちにふとその人の核心に触れた時、少し嬉しくなると同時に、ちゃんと向き合わなくてはと背筋を正す。そんな深いコミュニケーションの果て
今日は、久しぶりに海を見に行った。 なんだか夏らしくて、胸が高鳴っていた。 天気は一日中こっちを向いてくれなかったけど、 総じて幻想みたいな1日だった。 ただそこに海があり、ただ楽しいという、自分史上珍しい日だった。 そしてなにより、ずっとひとりな気がしていた自分のことを少しわかってもらえた気がした。 そんな1日に嬉々としている自分の簡単さが恥ずかしくて、最終的に今少し失望している。 自分が抱えている永遠のテーマの一つに、 「ひとり」であることがあると思っている。 恋人が
社会人になってから、まさに光陰矢の如く時が過ぎていく。 時間の経過が早すぎて、追いつくこともできない。 社会に出てからというもの、 「黙るスキル」みたいなものが嫌が応にも身についてしまい気持ち悪い。 昔から知っている人にライブを見て言われた、 「なんか大人になっちゃったな」というセリフ。 社会に出ることで。無意識に何かに侵されているんだな、 と思い悲しくなったけど、正直そのアドバイスはあまりピンとこなかった。 ピンとこなかったというより、自分の孤独さが助長されたようで、少
今でもはじめてライブハウスに立った時のことを覚えている。 それは2016年の秋頃だったと思う。なにを覚えているかというと、 ステージの記憶はなく、終わった後に「曲以外全部ダメ」と言われたこと。 全く歯が立たない感覚は自分でもよくわかっていて、それが全ての原点になっている。 僕を見出してしまうような、ちょっと変わった大人の人たちに声をかけてもらって、チームを組んで試行錯誤した日々もあったような。 その時のことも、まだおぼろげに覚えていて、未熟だったという感覚が確かに残っている
2021年が終わる。 そもそも生きることは、しんどい中に輝きを探す作業だと思っているので、今年も今年なりに思うようにいかないことばかりだった。 ただ、2021年が自分のこれから数年間の生活にとって大きな転換点だったことは間違いのないことだと感じる。 自分の周辺に新しい流れが出来た一方、 自分の今の境遇を案じて、変わるべきか変わるべきでないか悩み、 それが自分自身の過去と向き合う引き金になり、 そこから創作のテーマが生まれた。 何か大きな花を咲かせようとしている過程にいる
このnoteも細く長くの様相を呈してきた。 たまに、読んでる、と言ってもらえるのが嬉しいので、音楽と同じくらいやめるつもりがない。だからカルトなファンの方に置かれては、ぜひ安心して欲しい。 最近は来るべきリリース(多分来年)に向けて、曲を作りつづける日々だった。 なのでコロナとかコロナじゃないとかあんまり関係なかった。ただ静かにやるべきことが目の前にあって、限られた時間でそれをやるのみ、という感じ。 もちろん葛藤はあって、自分はやはり特殊だな感じるし、学生時代のように特殊さ
全てをやめたくなるような湿度の季節が到来した。 もう少ししたら、クソ暑いけどクソつまらん夏がやってきて、 そして台風がやってくる。 そんな季節のお話はさておき、最近は小忙しくしている。 つくづく、都会に自分の居場所はないなと思う。 自分の居場所は、好きな音楽の中とか、ライブハウスの中とか、 都会から少しだけ距離を置いた場所とか、そういうところだ。 都会に居場所なんてないと思ってる人間が、日々都会で常人のふりをして、 人の気持ちが読み取れすぎて困り果てながら生きているのだ
明日は、西永福JAMにて、Turns blueが主催の一角を担う DAYBRK.というイベントが行われる。 2019年から仕込み始め、 2020年に第一回、 そして 2021年に第二回。 それなりのペースだと思う。 「シーンみたいなのがあるとして、どこにも馴染めない感じがするけど、それもまたシーンなんじゃないか」(意訳) みたいな話を、まだこんな世界になる前のJAMの打ち上げで、 3バンドのフロントマンで話した記憶がある。 ギターロックの血筋と、オルタナティヴな血筋と
約1年ぶりのライブを西永福JAMにて敢行。 ご来場の皆様誠にありがとう。セットリストは以下。 1.壁の東側 2.ポストフェイク 3.キャピタル 4.蔓延る 5.夜明けの疾走 25分、駆け抜けるセットリストだった。 6/5の「DAYBRK.」ではもう少し多面的にTurns blueを見せたいと思う。 昨日はザ・ライブハウスのようなメンツとイベントで、 正直、居場所は最後までない感覚だった。 JAMの面々が復活を歓迎してくれ、企画を共催するkanataとシニカルが近くにい
お久しぶりです。 なんとなく書きたいと思ったら、その時が書く時。 ということで、なんとなく書きたくなったので書いている次第。 noteで自分を出すのもだんだん怖くなってきていて、 この社会はやっぱり"語り"に不寛容だから、怯えながら書いてみる。 4月に入り、 社会人生活は2年目、音楽家としては歴4年目に突入した。 まあでも実質1年くらい何もできてないので、音楽は丸3年くらい。 社会に放たれて1年、 いまだにマインド的には全く馴染めてないけど、 性格は割と真面目だから仕事は