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【娘。歴史】番組の企画だったモーニング娘。

 1997年4月に『ASAYAN』でシャ乱Q 女性ロックボーカリストオーディションが行われ、8月に約9,900人の中からグランプリが平家みちよに決定したが、新展開に突入することになった。

 ※シャ乱Q 女性ロックボーカリストオーディションの経緯は前回のコラムを参照。


落選メンバー5人でグループ結成

 シャ乱Qや『ASAYAN』の番組関係者らはオーディションに落選した10人の中から“本人たちにやる気があれば可能性がある”として評価が高かった中澤裕子・石黒彩・飯田圭織・安倍なつみ・福田明日香を選出した。特に安倍なつみの評価が高く、当初はソロとして売り出される計画もあったとされている。

 1997年9月7日放送分において番組スタッフの「何も言わずに東京へ来てください」の一言で5人が集められ、デビューの条件として5日間でインディーズCDを5万枚手売りで完売させる試練が課せられた。当時の音楽業界はシングルにおけるミリオン作が16枚にも及び、安室奈美恵やSPEEDなどといった女性アーティストが活躍。CDが売れる時代であったとはいえ、番組発の無名の5人組がこの試練をクリアさせるのは不可能に近く、この時点のモーニング娘。は平家みちよがデビューするまでのつなぎ企画に過ぎなかった。

 翌週の9月14日放送分では、朝のモーニングセットのように親しみやすさとお得感をイメージしてグループ名が「モーニング娘」と名付けられた。当初のつんくの命名では句読点の「。」は付いていなかったが、スタジオのスクリーンでグループ名が発表された際に“モーニング娘。”と誤って紹介され、司会のナインティナインの矢部浩之の独断によって「モーニング娘。」が正式表記になった。グループ名の候補として「朝定食」や「食べ放題」、「バイキング」、「たこ焼きシスターズ」、「モーニング5」、「モーニングサービス」などが挙げられ、番組でグループ名が公表された9月14日をモーニング娘。の公式結成日としている。

 今では想像がつかないが、メジャーデビュー前は芸能事務所「アップフロントエージェンシー」の預かりで、専属のマネージャーがついておらず、衣装も用意してもらえない状況だった(※後の初代マネージャーとなる和田薫はシャ乱Qのマネージメントを務めていた)。

「愛の種」キャンペーン

 グループ結成後は初のオリジナル楽曲「愛の種」(作詞:サエキけんぞう、作曲:桜井鉄太郎)のレコーディングに突入し、ソロパート争奪戦などと煽られた。特に中澤裕子はレコーディングに大苦戦し、十分な力を発揮することができず、ソロパートが2ヶ所しか与えられなかったりと現在では考えられないほどの問題児キャラとして番組では扱われていた。

 キャンペーン初日の大阪では販売開始の2時間前から徹夜組を含む800人が列をなし、その行列は1.5km先まで伸びることになった。あまりの混雑ぶりに会場となったHMV心斎橋店は閉店時間を超える可能性があるとしてCDの引換券をその場で配布し、後日受け渡しする対策を取った。初日の売上枚数は16,610枚を記録し、その後も福岡で9,004枚、札幌で14,853枚と順調に売り上げを伸ばしていった。 

 そして11月30日、愛知・ナゴヤ球場で9,533枚を記録し、キャンペーン4日目にして目標であった5万枚を完売することができた。

メジャーデビューへの道

 12月7日放送分において1998年1月28日にメジャーデビューし、楽曲のプロデュースをシャ乱Qのつんくが手がけることになったと発表された。その後の放送ではデビュー曲の候補となる3曲のメインボーカルをかけた大争奪戦が繰り広げられ、一度はパート割りが決定したものの、翌日になって変更されるといった波乱な展開が起きた。

 デビュー曲候補の3曲の仮歌レコーディング、振り入れ、ジャケット写真の撮影等が行われ、最終的には安倍なつみがメインボーカルを務める「モーニングコーヒー」に決定した。

FC「Hello!」設立とメジャーデビュー

 1998年1月26日、平家みちよとモーニング娘。による合同ファンクラブ「Hello!」を設立した。シャ乱Qを中心としたアマチュアバンド集団「すっぽんファミリー」に倣って複数のアーティストを応援してほしいとの理由で2組合同のファンクラブとなった。その後は太陽とシスコムーンやカントリー娘。などのグループが加わり、名称が「Hello!Project(ハロー!プロジェクト)」に変更された。

 番組発のアイドルグループとして既にピークに達していたと思われたが、1月28日に「モーニングコーヒー」でメジャーデビューを果たすと、『ASAYAN』で毎週のように特集されていたことやシャ乱Qのつんくプロデュースという話題性もあって新人アイドルグループとしては異例のオリコン初登場6位を獲得し、約20万枚のヒットを記録した。

 メジャーデビューから数日後には全国5ヶ所で握手会が行われ、初日となった横浜アリーナでは約6,000人を動員したが、キャパの半分も埋まっていなかった。モーニング娘。のメンバーは「いつか横浜アリーナをいっぱいにできるくらいのアーティストになる」と胸に誓ったという。

 デビュー直後はテレビ東京以外の番組に立て続けに出演した。『めちゃ×2イケてるッ!』では人気コーナー「爆裂お父さん」に出演し、加藤浩次扮する加藤辰夫に飯田が足を舐められたり、福田の履いていたジャージが脱げてブルマが露わになったりとお茶の間に強烈なインパクトを残した。

前代未聞の急展開へ突入

 『ASAYAN』はオーディション開始から合格者がデビューするまでを一連の流れとし、その後は新曲がリリースされた際に告知が数十秒間にわたって流れる程度で密着などが行なわれなかった。そのためASAYAN出身者のほとんどがデビューから1〜2年ほどで引退またはグループが解散に至っていた。所属事務所は今後も番組が追っかけてくれるようにと前代未聞の計画を発案した。

 3月22日放送分において、つんくの口から2ndシングルの構想とモーニング娘。を倍の人数にすることを発表した。

 これがモーニング娘。追加メンバーオーディションの始まりだった。

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