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「教員の友人が多い」ことに関する考察

「類は友を呼ぶ」という言葉がある。その言葉を信じるなら僕は決してサッカー選手に属さない。おそらく「教員」に振り分けられることになるだろう。または何かを「教える」に類いする職業に。

僕には友人が少ない。とても少ない。その少ない友人のうちの多くが「教員」の職についている。ほとんどが教員採用試験をなんなく通過し公務員としてしっかり働いている。これはすごいことだ。面識のある先輩や後輩、お世話になった先生方も含めれば数はもっと膨れ上がる。もし円グラフで表すなら、ドーナツを一口かじったあとに残る形と同じくらいの割合になるだろう。

これは食べかけのNYチーズケーキだけど

(あくまで僕が友人だと認識しているだけで向こうは友人だと思っていない可能性も否定できないが、それは一旦伏せておいて欲しい)

僕の母校である筑波大学は前身が東京教育大学のため、比較的教員免許が取りやすい。僕含め体育専門学群の同期の半分ほどが免許を取得し、そのうちの3人がいま高校教員として現場で働いている。成人してから毎週のように一緒に酒を飲んだ同期は母校である清水東で教員をしている。僕が静岡(藤枝)を選んだ理由に少なからず彼の存在がある。また酒を飲みながらいろんな話がしたかった。理由はそれだけで十分だった。最近はご飯も行けてないのでそろそろ会いにいきたい。

大学4年生で行った教育実習で同じだったメンバーは今でも定期的に連絡をとる。7人のうち4人が小学校と高校で教員をしている。保健室の先生もいる。教員にはならなかった彼/彼女らも素敵な職業についており僕からしたら羨ましい職業ばかりだ。誇らしい。

高校で一番初めに仲良くなってサッカー部でも一緒だった友人も地元で小学校の教員をしている。3年間同じクラスメイトだった陸上部の友人は鹿児島で中学校の理科の教員をしながら陸上部の顧問を務めているらしい。彼らは凄く要領がよかった。なんとかする、間に合わせる能力に長けていた印象がある。どれだけ部活で忙しくても試験ではたいてい上の方に名前があった。概要を掴む力と言ってもいいかもしれない。

僕は田舎出身なので小学校と中学校はほぼ同じメンバーだった。子どもの数が減って今はどちらも統合されてしまった。建物はそのままだがもうそこに母校はない。そんな田舎から同級生の2人が山口県で小学校教員をしている。小学校4年で担任してもらった先生の影響が大きいそうだ。その先生は僕の恩師でもある。10歳の僕に「大器晩成」という言葉と「あなたは外の世界に出なさい」という人生のアドバイスをくれた。それが15歳で福岡に行ったことにも繋がっていると思う。感謝しても仕切れない。返しきれないほどの恩をもらった。

またおもしろいことに、仕事として教員にはついていないのだけど、仲良くなった人の家族に教員の人がいる、と判明するパターンも多い。今のクラブにも仲のいい選手の親が校長先生だったりする。その人に育てられたから何か雰囲気として感じるものがあるのかもしれない。ちなみに僕はサラリーマンと看護師の次男坊である。

最近Twitterで仲良くしてもらってるやまだ先生(@yamadaessay)なんかも、勝手ながら一方的に友人に認定してしまっている。ごめんなさい。あんな素敵な先生はなかなかいない。彼のクラスの子どもたちはその幸運を認識しているのだろうか。いや気付いていないと思う。大抵のことは失ってから気づくものだから。

あとはあげたらキリがないけれどサッカーの指導者をしている友人も多い。つまりみんな教えるのが好き、または得意なのだ。大学の恩師の「世界を変えられるのは教育だけ」という言葉を結構な頻度で思い出す。恩師や友人たちが「教育」を通して世界を変える一助を担うのだろう。カッコ良すぎる仕事だ。

ここで教員の友人の紹介をやめると「友人少なすぎない?」と言われそうだから、他にもいるよということだけやんわり伝えておこう。岐阜で競技続けながら体育教えてる子とか。


長くなったがここが本題である。
なぜ僕は教員の友人が多いのか。

僕の考えとしては「彼ら/彼女らが優しい」、これに尽きる。優しすぎると言っていいかもしれない。そしてそれ以上でもそれ以下でもない。過剰に相手に合わせたり媚びることも全くない。出会ってから今までずっと継続して優しい。もしかしたら優しく振る舞ってくれているのかもしれない。でも、「優しく振る舞える」ことも優しさの一つだと僕は思う。

だから僕は変わらず友人でいてくれる人たちを大切にしたい。肩書きも経歴も楽歴も何もなかった時から知っているみんなと今後も良い関係を築いていきたい。時に連絡をして時に会って近況を報告しあって、なんでもないことを笑い合いながら美味しいご飯や飲み物を楽しみたい。

僕は緊張しぃなのでサッカー選手をやめた後に教員になることは難しいのかもしれない。教育実習は楽しかったけど僕には向いてないんだという確認になった。でも憧れはある。いつか人前で緊張するのを克服できれば教員になってみたい。教えてみたい。仲のいい彼らと同じ土俵で目線で話をしてみたい。語らってみたい。

それが今の僕の願いである。

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