尻ふきと人間

トイレットペーパー騒動からだいぶ日が経つが、
ウチの地域では、
まだ、品切れだ。
夕方はもちろん、お昼に行ってもすっからかんである。
物流がとても遅れている。
パスタも1袋あたり「ひと家族様」になったままだ。
物流がとても遅れている。

トイレットペーパーが買い占められ、
瞬く間に売り場から消えるのは、
日本だけではないようで、
世界各地で争奪戦が起っている映像を観た。
トイレットペーパーを巡りケンカしている人もいた。
してみると、
トイレットペーパーは現代人にとって、
何よりも大切なものになってしまったようだ。
食料よりも
飲料よりも
亭主よりも
地球よりも
愛よりも
トイレットペーパーが大事。

なぜ人は危機的状況に陥ると、
トイレットペーパーを買い漁りたくなるのか、
というテーマで、
世界中の心理学者が研究していることだろう。

1980年代初頭、
ウォッシュレットが登場した。
文明の転換点とも言える画期的な商品だった。
そのCMで「おしりだって洗ってほしい」という
戸川純さんのセリフが流行語になったりした。
以降、シャワー付きトイレはどんどん進化して、
ビデが付いたり、今では何にも手を触れなくても
用を足すことができるようになった。
しかし、キャン玉洗いの機能が付いたものは
未だ開発されていない。
なぜキャン玉洗い機能が付いていないのか、
オレなりに考えてみた。
やはり、キャン玉は
「キャン」と「玉」が別々に付いてあるがゆえに、
照準が定まりにくいのではないか、と。
あとはニーズがないのかな?
オレは欲しいぞ、その機能。
ここはひとつ、
日本のテクノロジーを駆使して、
トイレ業界には是非とも、
キャン玉洗いの研究に取り組んでもらいたいものである。

ところで、
トイレットペーパーというか、
「便所紙」における我が国の歴史をちょっと調べてみた。
すると、江戸時代にはすでに古紙を利用した
「リサイクル便所紙」で皆用を足していたという。
これもまた文明のエポックである。

オレが生まれ育ったところは、
ものすごいド田舎だった。
オレは神経質な子供で、
家以外でウンチをすることができなかった。
小学校の帰りに脂汗をかきながらもらしたこともある。
ところが、同級生たちは平気なもので、
路の脇で用を足したりする子もいた。
ある日、クラスの女の子が、
道端で用を足し、
紙がないので葉っぱで拭いたという噂がたった。
オレは噂を信じなかった。
そんな噂が立つこと自体がイヤだなと思った。
クラスの皆も同様で、
噂は誰も信じずにすぐに立ち消えた。
彼女も今ごろトイレットペーパーを買いに、
ドラッグストアに並んでいるのだろうか?

そして、トイレットペーパーが、
本当に世の中から消えてしまったら、
マダムたちは、
公園の広葉樹の前に列を作り、
「ひと家族様20枚まで」と葉っぱを取るのだろうか?

よろしければチャリンとしていただけたら、この上ない喜びです。何卒、何卒!