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偉大なる一頭

2024年1月21日、King Gnuのドームツアー参戦、初めてのライブ参戦、名古屋場所。
とても混乱している人間の忘備録です。

ご縁があってチケットを手に入れて「楽しいライブだろうなあ」と気軽に行ったらとんでもなった。自分の身に何が起きたのか全く分からない。心臓が痛い。
ライブが終わり新幹線の中、翌日も仕事だからと少しでも寝ようと思ったのに、アドレナリンだか何だかが源泉掛け流し状態で全然眠れなかった。在来線の乗り換えも失敗。ホームで電車を待つ時、ガタガタ震えながら顔面が熱かった。

ライブから1週間が経とうとしている今はただ、鮮明な記憶が薄れていくのを悲しんでいる。覚えておこう忘れたくないと脳内再生再構築を繰り返して本当の記憶だかも分からなくなるのがとんでもなく悲しい。悲しい悲しい言いすぎて家族に不審がられてしまった。あんなに楽しそうだったのに何がそんなに悲しいの?と怪訝な顔をされながら生活した。


アンコールで、ある曲を歌おうもっと歌えるだろうと真剣に煽られたのだけど、にわかファンであった私でもフルで歌えてしまった。
ヒット曲だし代表曲なのだし当たり前なのかもしれないけれど、ちょうどその曲がリリースされた年はフリーターだったなと思い出した。

勤めていた会社の倒産後、2年程フラフラしていた。バイト掛け持ちしつつ絵を少し描いて生計の足しにし、何なら絵を仕事にしたいなあと甘い目論みでヘラヘラ生活していた28歳児だった。
その年のクリスマス、ショッピングモールのクリスマス装飾の撤去作業のバイトにいそしんでいた。営業終了後、疲れ倦んだ人たちと一緒にツリーのオーナメントを取り外す。もう使わないから捨てるからと指示され、色とりどりの玉やらリボンやらプレゼントやらをニッパーでバチンバチン切る作業を黙々とこなした。
終わったのは27時。自宅まで車で2時間の現場だったので、眠気覚ましのためにガンガンに音楽をかけ帰路についた。何故か1曲だけを2時間かけっぱなしにし、「いつかライブで披露するかもしれないし〜」などと自分以外誰も乗らない愛車の中で歌った。
というその曲がアンコールにかかったので、そうかこのために歌ってたんだあと回らない頭で確信し、チカチカする目でステージを追いかけ歌った。無事喉が潰れた。飛んで跳ねたりもしたので全身筋肉痛だった。睡眠不足もたたり翌日使い物にならないかと思われたがライブのせいで仕事に支障をきたしたなんてなんか申し訳ないので頑張った。

そして、自慢じゃないが、私は仕事ができない。
幼少の頃より「大人が喜ぶこと」「先生がよいというもの」「友達が賛成するもの」「周囲の人間が是とする物事」を肯定すればいいと思って生きてきたので自分の意見がない。それが社会生活で悪い方に作用している自覚がある。

人並みにできるまで時間がかかる、傷つきやすさはプレパラートのガラスハート、思春期に言われた言葉を後生大事に抱えて恨むような卑屈さ。外見性格何をとっても自信など微塵もない。

という人間がKing Gnuに、殊更常田さんにとんでもない憧れを抱いてしまったという話です。
そしてその憧れの内容を自分のために言語化しておきたいけれどもうすぐお昼休み終わるしおキャット様の写真眺めたいしいや仕事だし。兎にも角にも午後の仕事いってきます。

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