2020年 F1スペインGP「戦犯は誰だ」

スペインGPはハミルトンの完勝で終わった。
敗北を喫した前戦70周年記念グランプリでの鬱憤を晴らすかのような走り。
それはF1に80周年記念式典は無いなと思わせるほど、エンターテイメントとしては不適格な圧勝ぶりだった。
こんなグランプリをこれからも見せられたら、F1は「興行」としての危機を迎える。
圧勝は素晴らしいが、そういう危険も孕んでいるのだ。
だが、ハミルトンとメルセデスを責めることは出来ない。彼らは彼らの仕事をやり切っただけである。
そのマシンがレギュレーションを遵守しており、ハミルトンの走りがマナーを遵守している(とは言い切れない部分もあるのだが)以上、彼らの仕事は賞賛されこそすれ、非難される筋合いはない。
F1からエンターテイメントを奪ったのはハミルトンとメルセデスでは無い。
責められるべきはまず第一にそういうレギュレーションを作り上げたFIA、そして次にライバルチームとドライバーである。

この車体レギュレーションはあまりにもあまりにもだ。
高度はハイブリットシステムは別に構わない。自動車レースと地球環境のバランスをみれば、こういう「わかりやすい」演出は必要だ。
一番のエコは2.4リッターV8を使い続けることだと思うのだが、アリバイ作りが必要なこともある。
問題は、膨大な費用を投入して開発されたパワーユニットがレースの面白さに1ミリも寄与していないところである。
2つのエネルギー回生システムをもつパワーユニットで、F1が驚異的な速さになるわけでもなく、なんらかのゲーム性が生まれるわけでもない。
ただ従来の超高回転型自然吸気エンジンの代替としてのパワーユニットという存在。
たまたまユニットと車体を同時開発できたメルセデスが、効率的なパッケージを編み出したがゆえにこの独走状態をうんでいる状態にすぎない。
(ルノー、フェラーリにも同じチャンスはあったのだが)
少なくとも90年代初頭のような、シリンダー数の差異一つでワクワクするようなことは不可能かもしれないが、それにしたって今のユニットはあまりに無機質すぎる。

挙句、このGP前にはパワーユニットの予選モード禁止を打ち出してきた。
システム出力をECUで緻密にコントロールできるのが新世代パワーユニットの魅力だが、あえてそれを殺すレギュレーション。
エンジンマッピングを変更する機能なんていまどき市販車にも搭載されている。市販車にすらついているシステムを殺すことで興行バランスをとろうとするその姿勢。
F1はハードウェア賛歌でならなくてはいけない。参加チームがコンストラクターであることがF1をF1として定義している最大のものだ。
そういう本質も無視し、どこかのだれかに迎合したようなパワーユニットが、なんの感動をよぶというのだろうか。


続いてライバルたち。これも問題である。
再三指摘しているようにメルセデスの、ハミルトンの独走を許しているのはライバルチームの不甲斐なさである。
このグランプリ、終わってみればハミルトンは2位ヴェースタッペンに24秒差をつけて勝利した。
51周目にハミルトンがラストスパートをかけるとヴェースタッペンはまったくついていけなかった。
この差はmもはや到底ライバルとは呼べない関係性である。
ヴェースタッペンはたしかに次世代のヒーローであろう。個人的な好みはおいておいて、彼が次世代のF1のシンボリックなアイコンになることには異論は無い。
だが、このままハミルトンにいいようにやられて、そしてもし万が一勝ち逃げを許してしまったら、彼を正当な後継者と認めることは難しくなってくる。
グレートシールの継承があやふやな時ほどやっかいなものは無い。王位の継承は万人が納得しないとそれは容易に分断を産む。
たとえば、そう。94年イモラで突然失われた王位。その継承者は94年シーズンを通して戴冠の正当性を内外に示そうと思っていたはずだ。
だがあまりにも早く、その王冠は継承されてしまった。継承者が本当の王者であることを証明できたのはそれから6年たってのことである。
そういう歴史の空白を産んでしまう可能性を、ヴェースタッペンならびにレッドブルは気が付いた方が良い。
この清涼飲料水メーカーは、このようなF1の歴史にはまったく興味が無いのだろうが、その空白がもたらすものはF1の商業価値低下そのものだ。
それはこの清涼飲料水メーカーが一番嫌うことでは無いのか。


だが、この法廷で一番最初に裁かれないといけないのは、勝者の僚友であるボッタスである。
率直にいって、彼がハミルトンと互角の戦いさえすればグランプリは興行として(どうにか)成立するのである。
2016年のシーズンは退屈だったが、それでも近年では一番マシであった。
それはどうにか、あの甘ったれたお坊ちゃんがなけなしの意地を振り絞ることで、ハミルトンに対抗しうるドライバーに成長して最後の最後まで戦い王座をもぎ取ったからである。
あのお坊ちゃんですらできたこと、それがボッタスに出来ない理由がわからない。
マシンが決定的にマッチしていないのか、信頼できるスタッフがいないのか。
だがそれであっても、いまのヴェースタッペンよりランキングが下というのは許されることでは無い。
「スタートがすべてだったよ」とレース後ボッタスはコメントしたが、スタートよりはるか前に決着はついていたと思う。
それはすなわち、彼がレースに臨む、その心構えそのものと言っても良いのである。

ハミルトンをとめるのは誰か。
彼と彼のクルマに現時点で隙を見ることはできない。
だが、確かなことは一つだけある。
それはどんな帝国も必ず、最後には滅びるということだ。
その最後の到来が、F1そのものの終わりより先に来るかはレーシングの神様だってわからない。
我々はそういう時代の目撃者なのだ。
だからどんなに退屈なグランプリだとしても決して目を逸らさずに、一部始終を見ていこう。
それが敬虔なる信徒の義務である。

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