2020年 F1イギリスGP 「運とツキの狭間で僕らは踊る」

『ツキっていうのは一晩で変わっちまうが運っていうのは一生ついてまわるものさ』
ご存知、「サラリーマン金太郎」で主人公金太郎の暴走族時代の部下、椎名が彼を評して言ったセリフである。
適当に「ご存知~」とか書いたが、どこまで「サラリーマン金太郎」って知名度あるんだろうか。
古い床屋さんや場末のラーメン屋さんには必ず置いてあるので、知らない人はチェックしてほしい。
金太郎、通称「金ちゃん」は、その類まれなる運の良さと腕力でサラリーマン人生をとんとん拍子で出世していく。
その点は数多あるサラリーマンファンタジー漫画というジャンルなのだが、この冒頭にある椎名のセリフのようにその運の良さもメタフィクションにしているところが、ある意味の割り切りを感じさせて潔い。
この潔さが、作品が爆発的にヒットした要因かもしれない。
そういうある種の分かりやすさは大衆受けする。

イギリスGPを見ていて、運の良さというものをつくづく考えさせられた。
モータースポーツは運の要素が非常に高いスポーツであるということが、今回のイギリスGPを見ていて改めて思い知らされた。

レーシングポイントのペレスが新型コロナウイルスに感染し、代役となったニコヒュルケンベルグ。
ポルシェでルマンも獲っており、才能は申し分ない。
久方ぶりのF1のシートに座ってもそのドライビングセンスは錆びついておらず、フリー走行から無難にまとめて予選は13位と健闘。
これだけの才能を持ちながら過去にポディウムフィニッシュが無いヒュルケンベルグ。
進境著しいレーシングポイントのマシンで悲願なるかというところだったが、決勝前にパワーユニットの不調で出走ならず。
ヒュルケンベルグのテクニックと、「もってなさ」の二つの特性が明確に出た瞬間であった。
こうなると27という、ある意味罰当たりなカーナンバーもなにやら因縁めいてくる。

アルボンとヴェースタッペンの運の差をエグイものがあった。
メルセデスに差をつけられる中で奮闘するヴェースタッペン。反していまいち気勢が上がらないアルボン。
このGP前に担当エンジニアの入れ替えを行うなど、チームも懸命のフォロー体制をひくものの、フリー走行からクラッシュ、トラブルと勢いにのれず。
決勝もハース マグヌッセンとの接触でペナルティをとられるなど低迷。
後半必死の追い上げで望外の8位入賞を得るものの、僚友ヴェースタッペンはポディウムフィニッシュ。
結果のコントラストが鮮やかすぎる結末。

メルセデスの2台も明暗がわかれた。
ともに終盤タイアがきつくバーストするがボッタスはそのままポイント圏外に後退していったのに対して、ハミルトンは残り1ラップというところでのトラブルということもありトップのままチェッカーを受けることに成功する。
タイアの問題をああだこうだ言っても始まらないが、その結果の差は天と地ほどかけ離れたものであった。
これでボッタスは選手権争いから大きく後退。ある意味で今シーズンの趨勢が決まったといっても過言では無い結末。
ボッタスにとっては単純にポイントを落としただけでは済まされないほどの痛手である。

そしてヴェースタッペンとハミルトン。
ヴェースタッペンは終盤ファステストラップポイント目当てでタイアを交換のためにピットイン。その直後にハミルトンにタイアトラブルが発生。
そのピットインがなければ、ヴェースタッペンが先頭でチェッカーをうけていたであろう。
タラレバを言うのは野暮だし意味は無い。
ただ、ここまでドラマチックな展開が用意されていたにも関わらず、その恩恵に預かれないヴェースタッペン(とレッドブル)のもってなさと、ハミルトンの土壇場でのひきの強さを考えると、どうしてもこの競技には物理や機械工学を超えるなんらかの力が作用しているように思わざるをえない。

そうなのである。
F1はそういった、もろもろの分かりやすい法則の外に存在している競技なのである。
そもそもF1ドライバーになるのだって、単純に速いというだけでは済まされない。
親の経済状況、周囲の環境、国籍、と本人の努力ではどうしようもないファクターが選別の要素となる。
その過酷なフィルターを経て、世界に22席しかないドライビングシートに収まることができる。
そういう残酷な現実が確実にそこにはある。
そういう競技を選んだ以上、運やツキということもドライバーに求められる重要な資質と言える。

苦労してスポンサーを獲得して、膨大な予算と世界一流の頭脳から生み出される宝石の如き輝きを放つフォーミュラワンマシン。
気が遠くなるような工数と経たマシン、関わるもの人間の想いは結局のところドライバー1人に託される。
そのドライバーが「もっていない」としたら?それは悲劇だ。
なにはともあれ、彼らドライバーという人種は過酷すぎる選別を突破してここにいる。
それならば、冒頭のセリフでいうところの「運」はあるのだろう。
ただ今回のGPに関して(もしくは今シーズンとも置き換えていいかもしれないが)「ツキ」がなかった。そう信じたい。

『ツキっていうのは一晩で変わっちまう』
幸いなことに今年は1週間後にもう一度、このグランプリ発祥の地でレースができる。

ドライバー、チームの「ツキ」がどう変わるのか。一週間、7つの夜を超えた先に何がまっているのか。
それでも結果が変わらないとしたら?
それはそもそも、F1そのものが「運」ってやつをもっていなかったとこの証明となる。
「運」や「ツキ」という分かりやすい要素も確かに良いだろう。
だが、F1という舞台でそういうものに左右されない、最高の技術の鍔迫り合い。脳の奥がグッと痺れる、そういうレースが結局のところファンが一番望んでいるグランプリの姿だと思う。


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