2020年 F1ベルギーGP「ロマンをぶちまけろ」

秋の高速3連戦の幕開け、ベルギーGP。
2025年までF1が延命することが確定した直後のグランプリは、はたして25年までF1が存続できるのか危ぶまれるほどにメルセデスが圧勝し、フェラーリが醜態をさらした。
ただそれだけのグランプリであった。
このテクストを書くために何度かレースを見返したが、そういう感想しかでてこない。
もっともそれは、ここ5年ほどのグランプリで繰り返された光景の忠実なるリプレイであり、こんな感想すら色褪せてしまったいわゆる月並みな感情の吐露に過ぎない。
なのでこのテクストのここからは、せめて過去のメルセデスとハミルトンに支配されたレースのレポートのリプレイとならないよう気を付ける必要がある。
だが、そんな可能性は残っているのだろうか。

レースの展開は11週目に発生したジョビナッツィとラッセルのクラッシュによって、セーフティカーが導入された。
そこで各車がピットイン。ハードタイアを装着。
すなわちそこでルール上の義務を果たすとともにそこからタイアの消耗度合と我慢比べとなるシナリオが勝手に生成されてしまった。
セーフティカーあけにハミルトンのクルマはパワー低下を訴えるが、どうやら不定愁訴だったらしく我々の淡い期待を踏みつぶしてくれた。
そこからはいつものハミルトン劇場である。
もちろんハミルトンとて万全ではなく、タイアの摩耗には苦しめれており時折ロックアップの症状がでていたようだが、それすらも2位以下が付け入る隙とはならずにそのままゴールチェッカー。
文字通りの完勝というやつである。
メルセデスの強さはここベルギーでも如何なく発揮された。
おっと、メルセデスと書いてしまった。いささか主語がおおきくなってしまった。強かったのはメルセデスでは無くハミルトンであった。
僚友のボッタスはこのグランプリ後のポイントランキングでヴェースタッペンに僅かにだが遅れをとっており、これはこのクルマを使用するものとしてはいささか相応しくない。
逆に言うとヴェースタッペンの個の実力というものは、レッドブルのクルマとメルセデスのクルマの差異を埋めるものであり、そこには失われてしまったグランプリのロマンが微かに漂う。
絶望的な脚本の中で、これは我々の希望でもある。ヴェースタッペンのファンだろうがそうでなかろうが、彼にそのグランプリのロマンを求めてしまう気持ちは共通だろう。
すなわち、そのスキルをもってして戦力差を埋める。
少年漫画のような展開だが、レーシングピープルならこの行為に胸がスカッとするのは洋の東西を問わないだろう。つまるところそれはレーシングの原風景であり、誰もが心にもっている神話のようなものである。
そういう期待をヴェースタッペンに抱く一方、彼と次世代の覇者を争うはずのドライバーであったルクレールの低迷ぷりはこちらも違った意味でレーシングピープルの心をざわつかせている。
昨年のベルギーで圧倒的なパフォーマンスを見せたルクレールだったが、今年は予選でQ2に進出するのがやっとのところ。決勝でもさしたる見せ場が無いままに彼の週末は終わった。
今年のフェラーリの記録的な遅さは、ルクレールの腕をもってしても如何ともしがたい状況だ。
ここベルギーではフェラーリは昨年のタイムより遅かった。昨年の自分を超えられないチームがライバルに勝てるわけがない。
クルマがダメダメならどんなに腕があっても状況をひっくりかえすことはできない。それもまた自明の理である。
だが、そこで我々はヴェースタッペンが開いてしまったパンドラの匣を思ってしまう。確かに今年のレッドブルとフェラーリのクルマの出来きは大きく違う。
レッドブルはメルセデスに対して大きく差をつけられるとはいえ、それはまだレーシングカーとして正しい進化をしている。
そういった状況を加味して考えないとフェアでは無いと理解しているのではあるが、どうしてもヴェースタッペンが見せつけたロマンをルクレールにも期待してしまうのである。
ハードの劣勢をドライバーの腕でもって跳ね返す。ドライバー自身がハードウェアのパーツとして機能する現代のモータースポーツでは、そんなロマンを夢見るのは間違いかもしれない。だが、そこに夢を見てきたからこそ我々はモータースポーツに100年以上も夢中になれるのだ。
グランプリを流れるドラマは例年にも増して単調だが、だからこそルクレールのような「選ばれた」ドライバーにはそういうロマンの欠片の発揮を期待してしまう。
そうちょうど29年前にここでひとりの新人ドライバーがデビューしたときに見せつけた、そういうロマンを。

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