2020年 F1ハンガリーGP「その神話を信じられるか」

嫌な予感がした。レコンサンスラップでレッドブルのヴェースタッペンがコースオフ。フロント周りを大破してしまう。グリッドではスタッフたちの懸命な修復作業が行われる。
嫌な予感、それはヴェースタッペンがスタートに間に合わない。例え間に合っても急拵えの修理では彼に翼を授けることはできずに結局リタイアしてしまう。
そんなことでは無い。
この修理は間に合う。そしてスタッフのそんな懸命な頑張りをヴェースタッペンは粋に感じておそらく大活躍する。
そこまではポジティブな予感だ。その予感については確信めいたものが不思議とあった。
ヴェースタッペンはそういう星の元に生まれてきたドライバーだ。
では、なぜ嫌な予感がしたのか。
嫌な予感、それはこのヴェースタッペンの奇跡の復活劇が今回のハンガリーGPの「物語」の主役になってしまうのでは無いかという予感である。
少なくともここ日本においては。

ハンガリーは2006年以来、日本のF1ファンの新たな聖地となった。
やることなすことすっとこどっこいだった2006年のホンダは望外の勝利をここで手にする。
天候とライバルの脱落に助けられたとは言え、コンストラクターズとしては3勝目、第3期としては初の勝利(そして唯一の勝利となる)の前にそんな理由は無視されてしまう。
ハンガリーはホンダの聖地となったのだ。
伝説は伝説を生む。2019年、レッドブルホンダはここでポールポジションを獲得。
ホンダパワーユニットとしては13年ぶりのポールポジション。
このレースではレッドブルはメルセデスの前に、レースへの取り組み方というレベルでの完敗を喫するのだが、その結果云々よりハンガリーで久しぶりにポールポジションを獲ったという事実の方が日本では強かった。
レース哲学に関わるレベルでの敗北だったにも関わらず、その事実からは目を逸らしてポールポジション獲得に「物語」の主題を選んだこの国のF1ファン。
懸命にヴェースタッペンのマシンを修理するスタッフたちをモニター越しに眺めながら、1年ぶりとなったハンガリーでGPでまた同じような物語が紡がれる、そんな嫌な予感を覚えたのだった。

残念ながら嫌な予感は的中した。
ヴェースタッペンはチームの思いを背負って、愛馬の性能を極限までに引き出してポジションをあげてチェッカー。今年の状況で2位というポジションは望外のものであり、現時点でのパワーバランスを考えるとこれは大成功といって良い。
ヴェースタペンへのチームからの信頼はより一層高まった。
そして何よりF1というエンターテインメントショーにおいて、この展開は美味しすぎる。まるで少年漫画だ。いや、こんなネームを切ったら担当編集者にボコボコにされるかもしれない。それぐらい王道的展開のサクセスストーリーだ。
日本のファンはこの王道的(ベタとも言う)展開に酔いしれた。
ヴェースタッペンの精神的タフさ、レッドブルのスタッフの有能さ、そしてついでにホンダPUの力強さ。酔うには充分な量の肴だ。

だが、そう簡単い酔い潰れてしまっては困る。
ヴェースタッペンは確かに大活躍だった。
だが、そのレース展開は有り体にいって褒められたものではなく、少し視点を引いて見てみると惨敗と言っても良いものだ。
10周目で前をいくハミルトンとの差はなんと8秒。
70周のレースで僅か10周で8秒の差。この差は殆どピットストップウィンドである。すでにレース7分の1の段階で、ハミルトンはこの追いすがるライバルに1回分余計にピットに入る選択肢を得ていたのだ。
メルセデスのボッタスが出遅れたため、余計にハミルトンとヴェースタッペンにフォカスが限定されたこのレース、実況もそれを受けたSNSの反応も、それを「一騎討ち」と表現した。
冗談では無い。10周で8秒の差がつく戦いを一騎打ちとは言わない。
そんな言葉に酔い潰れて、現状を見るのを放棄するのは正しいモータースポーツの楽しみ方とは許容しがたいものがある。

このグランプリは、ハミルトンの圧勝である。
それだけの結果だ。
レッドブルは確かにマシン修復を頑張った。それを操るパイロットはその頑張りに応えて結果を持ち帰った。
だが、このグランプリの主人公はハミルトンであり、極上のマシンを作り出したメルセデスだ。
そこを見誤ると、対象への正しい距離と愛情の配分を間違えてしまう。
間違えた愛情は次第に狂気に変貌を遂げる。

レースは結果が全て。
レース後、ヴェースタッペンは追い上げてきたボッタスとのバトルを制した2位ポディウムについて「優勝同然」と言い切った。
勝ったハミルトンは終盤に念のためのタイア交換を行いファステストラップも更新している。
その状況で「優勝同然」と言えてしまうその神経そのものが、現時点でのヴェースタッペンとハミルトンの差であり、レッドブルとメルセデスの差なのだろう。

大差をつけられての2位を「優勝同然」と言えるドライバーとそれを許容するファン。
神話を紡ぐのはそれぞれの民族である。どんな神話を信じてもそれは自由だ。
だが、その神話の世界で極上のストーリーに酔いしれても、現実は1ミリだって変わらない。

ハンガリーというある種の聖地で、神話には新しい1章が書き加えられた。
その神話を楽しむのも、ケチをつけるのもファンという無責任な関係者の自由ではある。
だがどんなに酔いしれて楽しい時間を過ごしても、必ずや二日酔いはやってくる。
強い酒なら、その反動も大きい。
その酒を飲む、覚悟はあるか。
ハンガリーGPのポディウムで振り撒かれたシャンパンは、実のところそういう悪魔的な踏み絵だったのかもしれない。

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