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 小川未明『野ばら』

 小川未明を「おがわびめい」とも読むことを知ったのは最近の話だ。
 そもそも、小川未明の作品に触れたのも大学生の時なので意外と遅い。そんな未明の作品で一番好きなのは『野ばら』である。

 小さな国と大きな国の国境に二人の兵士がいた。小さな国は青年兵。大きな国は老兵で、二人は国境の石碑を守っていた。誰も訪れない場所なので、必然的に二人は話をして友人になる。だが、大きな国と小さな国とが戦争を始めた。老兵は「自分はこう見えても少佐だから、殺して貴方の手柄にすればいい」と青年兵に言うが、青年は「何故、私と貴方が敵同士なのか。戦争はもっと北の方でやっているからそこに行きます。」と言って戦地へ向かう。月日が流れ、老兵が旅人に事の顛末を聞くと「小さい国は皆殺しになって、大きい国が勝利を収めた」ことを知る。
 かつて国境に咲いていた野ばらも、今はもう枯れてしまい、老兵も故郷へ帰る事となった。

 大きなあらすじはこんな感じなのだが、私はこの物語に「青春」を見たような気がする。つまり、人生における「春」なのだ。
  ちなみに、「野ばら」がいつ開花する花なのか調べたら5.6月だったのでちょっとびっくりした。シンクロやんかと思った。
 
 
 前の記事で『十二の真珠』という絵本について語った中にも似たようなことを書いた。穏やかな日々は、一つのきっかけでいとも簡単に崩れてしまう。だからこそ、今の日常は貴重なものなのだと、そういった部分がこの『野ばら』にもある。
 老人は物語の中で、「早く暇をもらって帰って、せがれや孫たちに会いたい」と口にしていたが、青年に「それだったら、私が寂しくなる。もう少しいてください」と頼まれる。老人が、しばらく青年といたのはその日々を楽しんでいたからに他ならない。
 二人が話すようになったのは、孤独であることに耐えられなかったからなのだろう。敵味方か分からないから話さなかった二人も、無言の日々はあまりに味気ないと感じたのだろう。老人と青年は良き友人になったけれど、お互いの国は戦争を始めてしまった。そして、大きな国は小さな国の人々を皆殺しにするという暴挙にでた。なんとも皮肉な話である。

  しかも「大きな国」と「小さな国」という名前がなんとも嫌なつけ方をしたなぁ、と思うのだ。「先進国」と「発展途上国」,「強い国」と「弱い国」そんな意味合いが強い。しかも、大きな国は小さな国を皆殺しにしたとあることから、本当にこの話は昨今の世界情勢にもつながるところがある。
 戦争って、ある種の暴挙を強制的にやってかないと勝てないってところがあって、やっぱり長引かせたくない。維持していくにもコストがかかるし、言い方は非常に悪いのだが、「早く諦めて、俺らの傘下になれや」という意図がある。
 だけど、やられた側はそんな意図わかっているけど、諦めるわけにはいかない。太平洋戦争時の日本を思い出すが、「勝ち目がないことなんてわかっている。だけど諦めちゃいけない。敗戦国になんてなっちゃいけない」この思いが小さな国にもあって、小さな国が皆殺しにされてしまったのは、小さな国の民が諦めなかったが故だと思ってしまうのだ。
 

 大きな国と小さな国が戦争をしていたら、老兵と青年兵は友人になっていなかった。青年兵が言った「なぜ、私と貴方が敵同士なのでしょう。私の敵はほかにいなければなりません。戦争はずっと北のほうで開かれています。」という言葉が印象的だ。罪を憎んで人を憎まずとは違うのだが、戦争が起こってしまったことで二人は敵同士になってしまった。しかし、二人はただ友人であっただけ。小さな国の民が悲惨な殺され方をされたのに、青年兵が戦後に老人の夢に出てきたのは、「私たちは敵同士ではなかった。ただの友人だったのだ」という事をことさら強調したかったのではないかと思うのだ。
 夢の中で、青年が野ばらの匂いを嗅いだのは「私は貴方と過ごした春のような日々を忘れることは無いでしょう」という意味だろうか。春に咲く花だからってこじつけみたいになっちゃったけど・・・。
 
 国家権力の争いは、いわば指導者の欲望とか一部の人が思う「こうなったらいいのに」を強制的に実現させたものだと思うのだ。
 誰かの権力に誘導されて私たちは戦争を起こすし、戦争に巻き込まれる。
 たとえ、誰かと楽しい日々を過ごしていたとしても、いずれはこういった社会問題を超えていかないといけない。
 最後に独りになってしまった老人が故郷へ帰ったのは、青年のいなくなった寂しい今が耐えられなかったからなのだろう。あの楽しかった日々を独り思い出すのがつらくなってしまった、とも考えられるが。
 哀愁漂う作品であるが、読み手によって多様な解釈ができるところが好きだ。今はこんな解釈をしている私も、再読するとまた違った見方ができるかもしれない。

 いやあ・・・。いい大人が書くには稚拙な文章になってしまった。ちなみにネットで『野ばら』の考察を検索すると、上越教育大学の研究紀要がヒットする。もう知的で老巧な内容で…「すげぇなぁ・・・。国立大学。」と思ってこの記事を消去したくなったのは内緒の話。


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