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【詩の森】554 見惚れる

見惚れる
 
子供は何かに見惚れて
よく立ち止まったりするものだ
遊園地などで
子供が迷子になるのは
きっとそういう事情からだろう
物珍しいものが
だんだん少なくなって
見惚れる回数も減っていって
人は大人になるのかもしれない
何だか寂しい気がする
 
見惚れたものは
いつまでも記憶に残るものだ
十五の時の初めての一人旅で
サロマ湖に沈む夕日を見ていた
あれは旅の感傷だったのだろうか
あの辺りを境に
見惚れることがめっきり減ったように思える
現代のようには忙しくなかった時代
人はもっと頻繁に
見惚れていたのではないだろうか
 
今や見惚れるどころか
よく見ることさえ少なくなって
僕らはただ一瞥しているだけだ
僕らが何かを見ることに費やす時間が
どんどん減っていく
鳥好きの僕は
日に幾度となく空を見上げるが
天気以外は空に興味がない人も
案外多いのかもしれない
一瞬とて同じ空はないのに―――
 
良寛さんの逸話に
月見の松というのがある
訪ねてきた友のために
良寛さんが酒を買いに出かけるのだが
いつまでたっても戻らない
友人が探しに出てみると
何と松の根元に腰かけて
月を眺めていたというのである
良寛さんは酒のことなどすっかり忘れて
月に見惚れてしまったようだ
 
詩人の山尾三省さんは
たとえば海が与えてくれる、善いもの、
広がりがあるもの、美しいもの、
なぐさめてくれるもの、
それらをほかに呼びようがないから
カミというのだという。
このカミはアニミズムのカミである
世界中の人々が仲良く暮らすためには
このカミの仲立ちがどうしても必要だと
山尾さんは考えていたようだ
 
一神教の世界では
『我が神・我らが神』どうしが
徹底的に争うことになりかねない
宗教上の反目には和解の手立てがないのだ
良寛さんが見ていた月は
カミだったのだと僕は思う
ひょっとしたら
僕の夕日もカミだったのかもしれない
心にカミを抱いて僕らはきっと
生き延びることができるだろう
 
2023.10.6
 
 

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