見出し画像

モノの価値と値段

フィンランド発祥のイベント「クリーニングデイ」に参加するため、我が家で使っている食器や洋服、布たちに値段をつける作業をしている。

クリーニングデイとは、大切に使っていたモノだけど理由あって使わなくなったので、使ってくれそうな人へ譲る(販売する)イベント。フリーマーケットと違うのは、要らないモノを売るのではなく、価値を継承することだと捉えている。

自分が過去に買ったモノに値段をつける作業はとても新鮮。安く買ったけど、ワクワクしながら使ったなぁ。とか、めちゃくちゃ高い買い物だったけど、自分にはイマイチ合わなかったなぁ。とか。思い出される。

やっぱり売るのやめようかな。と思ってしまう気持ちを抑えて食器棚から食器を抜き出してみると、窮屈だった棚に余裕が出てきて、目につかなかったお皿も見えてくる。出番が少なかった皿もこれから出番が増えそうな気配。棚の中にも新鮮な空気が入るようだ。

モノには値段がついていて、製造されて仕入れられて価格がついて販売される。モノの値段は産まれてから自分のうちに届くまで価値が変化し続ける。
購入して年月が経たモノは減価償却が進んで無価値に向かうのか?適正な価値とは?

値段をつけてみると、モノと自分の間に濃厚な時間や愛着があったものは価値が上がっているのでは?と思う。
安く売りたくない。とも、誰か好きになってくれる人にたとえ安くても譲りたいな。とも。

自分自身、モノを仕入れて販売する仕事だから、減価償却が進むモノより、価値が上がるモノを勧めたいと願っている。
今回の気づきの一つは同じデザインが長く続く価値とその時しかない色。同じデザインのお皿は今も新品を売っているけど、その色にはもう二度と出会えないかもしれない。
その道に詳しくなれば、製造年も推測できそうだ。

唯一無二のモノとの暮らしは濃密な時間だ。
そんなモノで満たされると良い暮らしになりそうな予感がする。時間が経って自分を取り巻く環境が変わって、それを手放すことにした時に、捨てるより誰かいい人へ渡したいと思うのではないだろうか。

より便利なモノで満たされた暮らしは便利だ。効率がいい。
自分の暮らしはずっと使って心が満たされるものをいくつ持てるだろうか。そして、そんなモノを仕入れ提案することを続けていけるだろうか。

クリーニングデイで出会う人の心を満たすような提案を自然にできるようなモノの選択を自分ができると、便利に追われていた過去から少し豊かになれると思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?