露の新幸

落語家 シンガーソングライター 関西を中心に活動しています 大阪•桃谷に住んでいます…

露の新幸

落語家 シンガーソングライター 関西を中心に活動しています 大阪•桃谷に住んでいます 見たもの、触れたものを文字にしてまいります よろしくお願いいたします

最近の記事

その感想にご用心

人は日々、感想を言っています 声に出さなくても心の中でもSNSでも 暑いな 寒いな 来てよかった 来なきゃよかった 好きだ 好きじゃないな もっとこうだったらいいのにな 僕もSNSで「感想」をよく書きます この動画面白い とか これはこう思う などなど なぜ人は感想を思い浮かぶのでしょうか? きっと「けりをつけたい」のだと思います 感想とはいわばその人が出した結論です 目の前のものに自分がどう対処するかを 相手との関係性やらを 決着させたいのだと思います 僕の

    • 手の中のニュース

      いろんな人の悲報 いろんな人の吉報 思いがけず 手の中にある携帯電話に飛んでくる よく知ってる人のものから 会ったこともない人のものまで その度に 人並みか以下はしらないけれど 心が動く それが良いことのように思えない 自分のポストに入る 自分宛の手紙なら その手紙をしまっておく場所さえ作れるのに まるで 街の電光掲示板に映されるみたいに いろんな人の悲報 いろんな人の吉報 湧いてしまった感情を しまっておく場所もないし 確かめるための時間も作れない 良い

      • A Day In The Life

        頭の体操で たまに曲を作ります 歌う場所なんてそんなに無いのに 歌ったことのある持ち曲より 作ってほったらかしにしてる曲の方が 絶対に多いなぁ 10代の頃から書いてるから 知らず知らず いい趣味になってるのかもしれない ▪️ A Day In The Life 今朝も変わらない 名もない1日を始めてみる たわいもない素敵なものを 見過ごしてきっと息しているんだな 何かになりたくて 何にもなれない事気づいてる さあ生きてみようじゃないか これこそが他に無い僕のマイラ

        • 正しい顔をして嘘をつく人へ

          人は嘘をつく生き物なのだそうだ。 確かに。 嘘も方便、嘘から出た誠、そんなこともある。 でも、 自分のついた嘘を他人のせいにする人がいる。「貴方が嘘をつかせた」みたいな。 小学生の頃に 友だち数人で 屋上から小石を投げて遊んだ事があった。 もちろんダメなこと。 近所の人の忠告が入り、 初めて校長室に呼ばれて指導を受けた。 すると友人のひとりのK君が突然泣き出して 「みんながするからしょうがなく自分はやった」 と言い出した。 先生は彼に同情し、 「彼をそんな目に遭わ

        その感想にご用心

          プチ集大成の連続

          昨日のお仕事は少し変わっていて JAZZクラブでお芝居と漫談をした JAZZシンガーでもあり シンガーソングライターの 旧知の菊地諒さんのイベントで 彼女がひとりキャバレーと銘打って 芝居をしながら歌を聞かせるという趣向 今回、僕を芝居の相手役として交えてくれた 僕の役どころは 悪魔になりたい彼女を改心させ 天国へ連れていく天使の役 台本や演出は彼女が担当 リハからとても白熱 本番も自画自賛が許されるなら とても良かったと思う 僕の話で恐縮なんですが 20代の時

          プチ集大成の連続

          なぜ書くのだろう?

          なぜSNSに投稿するんだろう? なぜ書いているんだろう? 書いていてそんなことを たまに思うことがある 書いたものを ネットにあげずに保留したものが どんどん溜まっていく 読んだ人が 嫌な気持ちになるのは 本意じゃない 出来れば万人に 不快な想いをさせたくはない ただ時々 猛烈に これを誰かに伝えたい という 気持ちになってしまう この猛烈も 僕の場合、決して 身体の芯から出るものでなく 咄嗟に反応したもので だからなのか 書いてしばらくして読み返してみると

          なぜ書くのだろう?

          無駄の吹き溜まりに暮らして

          今日はライブがある ギターを弾いたり歌ったりする 落語家だけど こんなことをよくやっている ギターを弾いて30年ぐらいになる 上手くないけれど 気持ちよく弾けるようにはなった ギターをやっていてよかった 本当に 生きていて ギターで稼いだお金は少ないけれど ギターで助かった日々はうんとある ギターをやっていて本当によかった 弾き始めた頃 意味もなく楽器屋に行っていた 何故か楽器屋さんの店員は少し怖い これは今も変わらない なぜだろう? あの頃は意味もなく ギター屋を巡

          無駄の吹き溜まりに暮らして

          ブカブカの服を見て

          春ですね この季節 少し大きめの服を着て街を歩く人が目立ちます それが学生さんの制服だったりすると なんだか微笑ましいです 私は落語家です 入門して8年目 まだまだ若手です 落語のネタは師匠に稽古で教えてもらいます 我々の言い方では 「稽古をつけてもらう」と言います 目の前で師匠がするのを 見て、聞いて その場で覚えていくのが昔からの慣わしです メモも取らず 20分ほどあるネタを その場で丸暗記するなんて初めは 「絶対にムリ」 と思っていましたが 何遍も稽古をしてい

          ブカブカの服を見て

          勝ち負け以外に

          スポーツは勝ち負けがあります それがないと楽しめない部分が多いです けど、そのスポーツに詳しい人に聞いてみると 勝ち負け以外にも 選手の成長とか戦術、起用法、チームカラーなど 知っていれば楽しめる要素が沢山あることに気がつきます 勝ち負けだけで楽しむというのは あまりそれをよく知っていないのかもしれません 昨今、なんでも順位がつきます 絵画や漫才とか僕がいる落語の世界なども 確かに勝ち負けは物事をはっきりさせてくれます けどそれだけじゃ味わえない楽しみも 沢山あると

          勝ち負け以外に

          たわいもないこと 

          月に一度、僕が落語と弾き語りをする会を 大阪の中崎町にあるギャラリーで開いている 古民家をリノベーションした空間がとても素敵 声が外に漏れるのでそこはいつも気を使うけど 僕はこの場所が好きだ 落語のお客様はもちろん 音楽仲間も楽しみに見に来てくれる 全世界に30人ぐらいしかファンのいない僕には とても有難いことだ この会では日々の中で感じたことを 出来るだけ素で喋るようにしている 喫茶店で喋るみたいな感じ 普段の寄席の高座ではこういうことはしない お客様の年齢や趣

          たわいもないこと 

          普通の男

          まったくもって普通の男 時に普通以下で 自意識過剰を爆発させてようやく 自尊心が人並み 最近、つくづくそう思う 先月、47歳になった 大した感慨はない 歳を取るということは 取り立てて気にするイベントではなくなった 大病をすれば別かもしれない 山や谷を越えた実感があれば 歳を取る(時間を経過する)ことは 誰かに誇りたいものになるのかも 本屋に行った 特にお目当てがある訳ではない 何千冊の中から 一冊の本も選べない これは僕にはよくあること スタバに入った 店

          普通の男

          その常識は非常識

          芸能人の方が大手事務所を退所されたり テレビでお馴染みの人がYouTubeや Netflixで活躍されたり 明らかに世の中は変わっています それも「常識であったこと」が 覆っています ひと昔前なら 事務所を退所したタレントさんは 言葉悪いですが「干される」のが通例で うちの父も私が子供の頃 「ああ、やっぱり干されたか」と 洗濯もんみたいに 話題になっているタレントさんのニュースを見て 呟いていました 最近の僕の関心事は マクドナルドのポテトが品薄で sサイズしか頼めない

          その常識は非常識

          一億総ツッコミ時代

          オリンピックを見てはツッコミ M-1を見てはツッコミ ラーメン食べてはツッコミ 朝ドラ見てはツッコミ 意に沿わん奴を見つけてはツッコミ SNSを見てると 程度はそれぞれだとしても ようはやりたい事は ツッコミなのね と気付かされる 僕も例に漏れずツッコむタイプだ 僕はそれを長い間 コンプレックスにしている 劇団にいたり 歌をうたったり 落語家として活動したり 要は舞台の上に上がって 見てもらう仕事をしてきた そこで毎度思うのは ツッコミをする人は 大したことが

          一億総ツッコミ時代

          頭の中の靄

          YouTubeで生配信を定期的にしています 内容は大したものでなくて ただただその時思ったことを喋るだけ 公益性もなければ専門性もないので 僕を知らない人が見ても楽しくない内容に なっています 僕にとっては 最近知ったこと、気になること 思い出したいこと を話しているので 良く言えば頭の整理や体操になっていて 悪く言ってもボケ防止にはなっているんです 昨日の放送もいつもと変わらない内容で 4時間半喋ったかな 久しぶりに頭の中の靄が晴れた感じがしました 去年の秋ぐらい

          頭の中の靄

          占いが苦手

          苦手というより嫌い 手相占いや人相占いはまだ 僕の身体の一部から読み取るので 話もび聞いてられるけれど 星座占いとか 誕生日占いとか 背後霊占いとか もはやさっぱり分からん ラッキーアイテムて 誰がどうやって決めるのだろうか? ラッキーアイテムが 蒟蒻とか 雪だるまとか エベレストとか BL漫画とか になったその日は 僕はどうやって過ごせばいいのか (蒟蒻は食えるやん) 僕が死にかけて ベットに横たわり 家族に見守られてるとする パパ! 元気だして! 今日のラッ

          占いが苦手

          悲しいニュースを見て

          自分自身が自分のボスになれ! 的なことは 自己啓発系の本のテーマによくあるかと しかしながら 自分自身が自分のボスになんぞ なれないのではないか? 朝起きる 何かを食う 着替える 出かける 目的地につく たったこれだけのルーティーンでさえ 上手くいかないことだってあるのだ 出来ることと 望む事は別だと考えていて ゴミを出す 歯を磨く 洗濯する 掃除する 片付ける 覚える etc これは程度や精度の甘さはあれど 自分で出来るし その気になれば もう少し段取りよ

          悲しいニュースを見て