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薄明かりの絵画(19世紀ヨーロッパ美術編)

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薄明かりの絵画に関する12記事
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記事一覧

連載12/12 モーリス・ドニとシダネル

ナビ派 1868年に、ルドルフ・ジュリアンによりパリ芸術アカデミーの予備校としてアカデミー・ジュリアンが設立されました。ブーグローやジュール・ルフェーヴルが教鞭をとり、学生はローマ賞にも応募できる、名門美術学校でした。 1880年代に、アカデミズムに反発し、ゴーギャンを模範とした、アカデミー・ジュリアンの学生数人が「ナビ派」を組織しました。「ナビ」とはヘブライ語で「預言者」の意味で、古代の預言者がイスラエルを奮起させたように、新しい表現様式を生み、芸術の活性化を目指しまし

連載11/12 ミュンヘン派

ミュンヘン派の指導者 19世紀ドイツのアカデミズムは、デュッセルドルフ派もありますが、その期間は1819-1918年に及び、「デュッセルドルフ派」と分類される画家は4,000人に上ります。100年間の長期間に輩出された数千人という画家が、一つの傾向によって分類できるか疑問ですし、多すぎて手に負えないので、取り上げないことにします。ミュンヘン・アカデミーを中心とする「ミュンヘン派」はカウルバッハとピロティが学長をつとめた1850-1918の期間で、代表的な画家は100人もいる

連載10/12 象徴主義と唯美主義

象徴主義 象徴主義は、1857年にフランスの詩人、シャルル・ボードレールが『悪の華』を発表したことに始まるといわれます。1860、70年代は、ステファヌ・マラルメとヴェルレーヌが象徴主義を牽引しました。象徴主義は、ロマン主義とは対照的な立場であり、「芸術は、間接的な描写のみによって表現可能な真実を表すべきである」という理念の下、自然や、写実ではなく、精神主義、想像力、夢を重視しました。隠喩的で、暗示的な表現が好まれ、特定の物やイメージに象徴的な意味を付与しました。これらは文

連載9/12 ラファエル前派

結成 ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood、以下PRBと記します)は、1848年にロイヤル・アカデミーの学生だったジョン・エヴァレット・ミレー、ウィリアム・ホルマン・ハントと、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティその他数人の彫刻家や画家によって結成されました。 ロイヤル・アカデミーの初代会長サー・ジョシュア・レイノルズと、レイノルズの流れをくむ、古典絵画、特にラファエロを模範とするアカデミズムに反発するものでした。ラファエロの、画家としての価値

連載8/12 イギリスのアカデミズムとクリック

ジョシュア・レイノルズ(1723-92) イギリスのロイヤル・アカデミーは、ヨーロッパの他の国よりは遅く、1768年に創立されました。初代会長にジョシュア・レイノルズが就任しました。レイノルズは、ヨーロッパ大陸の新古典主義のように、ルネサンス(特にラファエロ)から学ぶことを重視しました。歴史画を頂点とする、「ジャンルのヒエラルキー」の設定にも一役買ったようです。主席宮廷画家でもあり、アカデミーと古典主義の重鎮でしたから、アカデミズムの権化のようにいわれ、ウィリアム・ブレイク

連載7/12 ビーダーマイヤー

概要 メッテルニヒの政権は、1815-48の間、続きました。「ビーダーマイヤー」とはその時代をではなく、その間の独自の芸術的気運を言います。ビーダーマイヤーの原動力は、 都市化、工業化の進展により、郊外の中産階級が誕生し、芸術の新たな鑑賞者となった メッテルニヒ政権による政治的抑圧 があり、結果的に芸術家は、(少なくとも表向きは)安全な領域にとどまり、家庭的で非政治的な題材を主に取り上げました。絵画のみならず、文学、音楽、建築、インテリアデザインをも含みます。また、ビ

連載6/12 ナザレ派

概要 ナザレ派は、ドイツ・ロマン主義の一つとみなされます。1809年に、ウィーン美術アカデミーの学生6人が、アカデミズムに反発し、中世の画家ギルドに倣って「聖ルカ兄弟団」を結成したことに始まります。翌年、6人のうちヨハン・フリードリヒ・オーファーベック、フランツ・プフォル(24歳で夭逝)、ルートヴィッヒ・フォーゲルらがローマに移りました。このグループに、ペーター・コルネリウス、フリードリッヒ・シャドウらが加わりました。ローマでは打ち捨てられた僧院で共同生活をし、中世のアトリ

連載5/12 吟遊詩人様式とリヨン派

吟遊詩人様式の特徴 「吟遊詩人様式」は、 1802年に、フルーリー・フランソワ・リシャールの「オルレアン公ルイの死を悼むミラノのヴァランティーヌ」がサロンに展示されたことに端を発します。特定の画家集団を「吟遊詩人派」というわけではなく、以下の特徴を持つ作品について、「吟遊詩人様式」というようです。 なめらかなタッチの歴史画 緻密な細部描写 ドラマチックではなく、静かで親密なシーンを描く 絵のサイズは小さめ これらの特徴は、オランダ黄金期より影響を受けています。フラ

連載4/12 アカデミズム

アカデミズム 芸術アカデミーは16世紀にイタリアで創立され、フランスでは、17世紀半ばに彫刻・絵画アカデミーが創立されました。フランスの芸術アカデミーは、1816年に彫刻と絵画に加えて建築と音楽部門を統合しました(以後、「アカデミー」と記載する場合、絵画分野を指すことにします)。アカデミーの美術教育は、古典主義を理想としているところに特徴があり、ローマ賞は、ローマのフランス・アカデミーにて、学生がギリシアやローマの古典的芸術から吸収することを目的としていました。アカデミーに

連載3/12 イギリスとフランスのロマン主義

ヘンリー・フュースリー スイスより渡英し、生涯のほとんどをイギリスで暮らしました。ジョシュア・レイノルズのアドバイスを受けて画家となり、ボイデルのシェイクスピア・ギャラリーのために多く描きました。超自然的な描写を好み、パレットを使わずにキャンバスに絵の具を塗りたくっていたそうです。 様式は古典主義的であるものの、神秘主義的で非現実的な主題を好み、ロマン主義的精神を持っていました。 ウィリアム・ブレイク(1757-1827) ウィリアム・ブレイクは、ロイヤル・アカデ

連載2/12 ドイツロマン派

ロマン主義 ロマン主義は、1770〜1850年頃の芸術運動で、19世紀前半が最盛期でした。ドイツの「疾風怒濤」を起源とし、視覚芸術のみならず、音楽や文学においても重要な一分野です。産業革命や、科学的な自然の理解、啓蒙主義思想の広がりとともに発達した、合理主義に反発するもので、直勘や畏怖などの感情や、手付かずの自然の荘厳な美を重視しました。感情の率直な表現と、ありのままの自然描写が特徴と言えます。人口増加や資本主義からの逃避として、中世リヴァイヴァルを目指していた面もあります

【連載】薄明かりの絵画1/12

この連載について 2014年にブログに連載した記事を一部修正、加筆したものです。 19世紀、地域はイギリス、フランス、ドイツ、オーストリアの、薄明かりの絵画について、12回で連載致します。イタリアやスペイン、北欧や東欧にも関連する興味深い美術がたくさんありますが、資料は豊富な地域に絞りました。年表の「アカデミズム」と「反アカデミズム」は、類型的で好ましくない二項対立なのかもしれませんが、アカデミズムを基軸とするとなんとなく話が進めやすい、という素人の浅知恵からこのようにし