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ラファエル前派のモデル

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ラファエル前派のモデル ウォー姉妹

Fanny Hunt(nee Waugh,1833-1865)ロンドン生まれ、父は裕福な薬剤師だった。1865年に、38歳のウィリアム・ホルマン・ハントと結婚した。翌年、出産の際に亡くなった。生まれた息子はシリル・ベノーニ(ヘブライ語で「悲しみの子」の意味)と名付けられた。 Edith Hunt(nee Waugh,1846-1931)ファニーの死から9年後、W.H.ハントはファニーの妹、イーディスと結婚した。当時のイギリスの法律では、妻の姉妹との再婚は禁じられていたので、

ラファエル前派のモデル アニー・ミラー

Annie Miller(1835-1925)チェルシーに退役軍人の父と、掃除婦の母の子として生まれる。ウィリアム・ホルマン・ハントの注目を引いたときは居酒屋の女中で、貧困状態だった。ハントにとってアニーは、理想の美人で、レディとして教育しようと考えた。ハントは、アニーと婚約し、パレスチナへの長期旅行の前に、留守中にアニーが教育を受けられるように手はずを調え、アニーが「モデルを勤めても良い画家のリスト」を作成して、渡した。 しかし、アニーはリスト外のロセッティその他の画家の

ラファエル前派のモデル アレクサ・ワイルディング

Alexa (Alice) Wilding(1845?-84)サリーの労働者階級の家庭に生まれる。ロセッティと出会ったときは、女優を夢見るお針子だった。ロセッティにモデルとしてスカウトされるも、当時、モデルは尊敬される職業ではなかったため、最初は約束の時間にアトリエに現れなかった。しかし、ロセッティはぜひともアレクサを描きたいと考え、二度目に彼女を見かけたとき、乗っている馬車を跳び降りてモデルとなるように説得した。 ロセッティは他の画家に彼女をとられることをおそれ、独占契

ラファエル前派のモデル ファニー・コーンフォース

Fanny Cornforth 本名 Sarah Cox (1835-1906)1851年の国勢調査によると、ファニー・コーンフォースはメイドであった。1860年頃、妻エリザベスが存命であったが、ロセッティの愛人となった。エリザベスはファニーを嫌っていたとされることもあるが、彼女がファニーを知っていたという証拠はない。エリザベス・シダルの死後、ロセッティの家政婦となり、愛人関係はロセッティが亡くなるまで続いた。ファニーは労働者階級出身で教育がなく、ロセッティの家族や友人の多く

ラファエル前派のモデル ジェーン・モリス

Jane Morris(1839-1914)馬丁の娘、ジェーン・バーデンとしてオクスフォードに生まれる。10台の後半に、観劇をしていたところをロセッティとバーン・ジョーンズに見出され、モデルとなる。貧しい出自で教育も受けていなかったが、中流階級出身で、オクスフォード卒のウィリアム・モリスと婚約した。裕福な紳士の夫人としてふさわしい振る舞いを身につけるため、語学や音楽の教育を受けた。結婚後にロセッティと不倫関係に陥り、ロセッティはモリス一家と同じ家に暮らしていたこともある。二人

ラファエル前派のモデル エリザベス・シダル

2014年にブログに投稿した記事の転載です。 Elizabeth Siddal (1829-62)金属加工職人の娘としてシェフィールドに生まれる。ロンドンに移住し、婦人帽子店に勤務していたところ、画家のデヴァレルに見出された。長身で赤毛の容姿は、当時の美の基準からは外れたものであったが、ラファエル前派のお気に入りのモデルだった。デヴァレル、ホルマン・ハント、ロセッティの作品に描かれた。特にJ.E.ミレーの「オフィーリア」は有名である。ロセッティの愛人となってからは、他の画家