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ゲシュタルトセラピーでの気づきと変化

ゲシュタルト療法で、声と涙と鼻水を出し、心のデトックスができたことで得られた、気づきと変化について記録します。

今回(3回目)の気づきと変化


自分を責めない理由


私が自己紹介をした後、セラピストは「あなたは悪くない」と言いました。


私にも、そう思いたい部分はありますが、加害者になってしまった以上「私は悪くない」と言うことに強い抵抗があります。


ただ、どんなに恥ずかしい行動をしてきたにせよ、自分の人格までは責めないように気をつけないとな、とは思います。


自分を責めることで、他人まで傷つけてしまう失敗を、繰り返さないために。


芯の通った自分


そんな私の中にも「芯」があることに気づきました。


4歳の時に父親から猥褻をされた後、魂の抜け殻になり、別人格の人生を歩んできた、と思っていたのですが、違いました。


私は寝ている間、下腹部に不快感を覚え、抵抗し(FIGHT)、逃げ(FLIGHT)ました。


翌朝、母親から「お父さんからメゴメゴしてもらったんだって?よかったねぇ」と言われ、抱き寄せられ、混乱のあまり声がでませんでした(FREEZE)。


性被害の後、不快感や恐怖や混乱や怒りや人間不信を押し殺し、お父さんっ子になった(FAWN)のも、過食症になったのも、被害の記憶が事実なら墓場まで持っていくと誓ったのも、「仲良し家族」のイメージを壊さないため、ひいては家族の中で自分の居場所を保つためだったのでした。


私のちぐはぐな言動は、善悪があべこべの世界で、自己防衛本能が正常に作動していた証でした。


その過程で、きょうだいに性加害・精神的ないじめまでしていたことは一生、悔やんでも悔やみきれません。


きょうだいに謝罪し、許しを得ても、自分が自分を許せません。


だから、子供に余計なことをして、私みたいな人間を増やさないで!と忠告したい。


子どもは、一人前の感覚と感情を持って生まれてくる。
大人には、そのことを忘れてしまった人が多い。


私が保育園も始まる前、父親の愛撫が「気持ち悪い」と感じ、執拗に下着を捕まれて「怖い」と感じた感覚は、他人から教わるまでもありませんでした。


一方で、両親の感覚はすでに鈍っていました。だから、父親は娘の性器を触ってそれを正当化できたし、母親は夫から簡単に騙されたのでしょう。


それなのに、母親は「子ども」だというだけで私を疑い、私に暴力を振り続けました。


私が初めて嘘をついた日、「嘘つきに育てた覚えはありません!嘘つきは泥棒の始まり!」と怒鳴られながら頬を打たれ、クローゼットの中にお仕置きにされました。


猥褻な雑誌の山を初めて目にした際「お父さんがついた『嘘』はなんで『よかった』の?」と冷静になって、泣き止んだのを覚えています。


母親が気づかないうちに私は、父親の言動から「嘘=よいこと」と間接的に教わっていたのでした。


「嘘で母親を騙す(喜ばせる)」手本を父親から示されていなければ、それまで疑いもなく全てを素直に吸収していた私の中に「嘘」という概念が生まれるわけがありませんでした。


お陰様で私の感覚も狂ってしまいました。父親からされたことを理解しようと、きょうだいの性器に触れました。

理解できないまま、きょうだいへの性器への接触は暴力的になっていきました。


全部、日本の子供向けのアニメや漫画、「お笑い」と称する猥褻な描写が満載のファミリー向け(?)テレビ番組の真似でした。


それらが「面白い」とされている感覚を理解しようとすることで、自分が受けた性被害を矮小化ようとしていたんだと思います。


こういう過程で、もともとは純粋無垢な子どもが、自分や他人の痛みに無頓着な”大人”に成長させられてゆくのだとしたら、


大人は、忘れてしまった感覚を、子どもの言動から思い出させてもらう姿勢が必要でしょう。


子どもから頼まれてもいないのに、無理やり教え込もうとするなんて痴がましい。


幼児の時から今まで、親や社会から強要や嘘の連続で惑わされ、同じ過ちを犯しながらも、自分の感覚や感情や記憶を頼りに軌道修正しようとしてきたという意味では、一つ芯が通った人間だったのだと気づきました。


ハグしてもいい? と聞かれたコト


セラピーの終盤、セラピストが私の目を見て「あなたにハグしたいのだけど、してもいい?」と聞いたので「はい」と答えました。


ハグをされると、子どものように、おいおいと大きな泣き声が出ました。


それまでは、静かに涙と鼻水を大量に流すだけだったのに。


「ハグしてもいい?と聞いてくれたコトが嬉しかった」と伝えました。


接触への許可の確認があり、了承したうえでのハグは、心が安らぐものでした。


思い返せば、ハグは「なんとなく、しなくてはいけない」社交辞令のように捉えていました。


それに、落ち込んでいる時などは一方的にされることが多く、気を使わせているのではないかと、戸惑うことも少なくありませんでした。


ハグはなんとなく苦手な自分もまた、久しぶりに会う人に好意を表すためにすることがありました。


母親からされたハグは、この世で一番、気持ちが悪いものでしたが、一方的な愛情表現を「良いこと」として受け入れざるを得ない窮屈さが原因だったんだと思います。

私は、自分の気持ちや体が尊重された経験が極めて少ないからか、新鮮な感覚だったので、セラピストの一言が余計に嬉しかったんだと思います。


私もハグみたいな一見とても好意的に思える行動も、相手が関わる以上、許可を得ようと思い直しました。


両親にして欲しいこと


両親に今の気持ちをぶつける代わりに、クッションを殴ったり、投げたり、怒鳴ったり、好きなようにしてみて、とセラピストから言われました。


「私は、暴力を受けて育ったので、別な方法がいい」と言い、考えた末、「精神治療と生活費の一生分を賠償金として支払ってほしい」と言いました。


でもいざ、言葉にしても、気持ちが入りません。


数年前、私が両親に罪を問いただした際、両親は罪を認めるようなことを言いながら、最終的には責任逃れをしました。


それまで私を溺愛する素振りを見せていた両親は、手のひらを返すように私のことに無関心になりました。


なので、私はこれ以上、助けを求めても無駄だと感じているし、賠償金は両親が反省したのなら、率先して支払うべきだと考えていることが明確になりました。


そして、両親に求めていることは詰まるところ、「ゲシュタルトなどのセラピーを受けて、我が子の心の傷に無頓着でいられるほど感覚が麻痺してしまった原因である、自らの心の傷を癒して欲しい」という願いでした。


私の場合、精神治療を続けるうえで、被害を受けたことを否定できなくなり、両親を問いただした後、今度は自分がきょうだいにした加害について謝罪しなければ、気持ちが悪いという心境になりました。


両親も各々が受けた被害ととことん向き合い、その悲しみと怒りの矛先を加害者に向けてみれば、我が子にした罪の意識を、正当化することはできなくなると思うのです。


セラピストに


セラピストがティッシュをくれた時「ああ、私はお母さんからティッシュをもらった記憶なんてなかったな」と思いました。


そして直ぐに、母も母親からティッシュをもらったことなんてないんだろうな、と連想しました。


母は幼児期、母親から置き去りにされ、顔さえも覚えていないと言っていたので。


でも、ティッシュをくれる人は、別に母親でなくても、血のつながった人じゃなくても、いい。


出会ったばかりの人でも、今ここの感情に耳を傾けてくれる人がいれば、癒しを得られる。


それができるのが、セラピスト。


そう思ったら、私もセラピストになりたいと思いました。


まずは先輩セラピストの力を借りて、自分を癒すことを根気よく続けよう。


自分も他人のセラピストになれるかどうかは、自分をどれほど癒すことができたかにきっと、かかっている。


もし、自分を癒すことで、他人をも癒せるようになったら、自分の人生をもう少し肯定的に捉えられるようになるのかな、という考えがよぎったけれど、こういう打算的な考えは好きじゃない、と改めて思いました。


私はただただ、自分を癒すことに専念する。それが正しく行われたかどうかは、嘘が下手な私の意識や感情がその都度、教えてくれるでしょう。


自分とのお祝い


セラピーの後「自分とお祝いとしたい」と思い、気になっていた居酒屋に、ぷらっと入れました。


普段、特に夜の外食はせず、消化にいいスープを自炊する程度なので、私にしてはとても珍しいことでした。


イメージとしては、腹ペコのインナーチャイルドに食べたいものを聞いて、合意して、赤ワインで乾杯。


朝は納豆雑炊と、昼は卵かけご飯の小食だったのと、4年ぶりのゲシュタルトセラピーで一仕事終えて食べるご飯は、美味しさもひとしおでした。

サムネ写真:Image by Colin Behrens from Pixabay

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