石橋を叩いて渡るというけれど
数日前子どもから少々相談事をされた。
夜電話していい?と午前中にラインがくると、私の心は一日ここにあらず。
うちの家族の関係性は悪くはないが、基本用がある時以外は連絡しない。それだけに余計に考えてしまう。よっぽどな事なのかな?と
本当は心配しなくても良いことで心配しているんだろうと自分でもわかっている。
自信過剰だった若い頃
自分自身のことはそんなに心配してやらなかった。若い頃から好きに進路を決め、自由に何でもやってきた。当時の私には過剰なほどに自分の行動に、自分で責任を取れるだろうという自信があった。親も私を信じてくれていて、充分野放しにしてくれていた。たぶん自己肯定感も高かったと思う。
子育てでどこかへいってしまった私の自信
しかしそんな私はすっかり変わった。子育てにとても戸惑ってしまったのだ。自分ではないものの責任を一気に背負い始めたと感じた。
特に難しいと感じた二人目を育てる過程で、私は自信をお腹の奥深くに隠してしまった。ある教師に扱いやすくない子は嫌いだと言われて「ある種の恐れ」まで感じた。対人関係などでいちいち傷つかないとしてきたマイルールもそこでは少し崩れた。もう豆腐メンタルだ。
そして今でも私の弱みは子ども達。
弱みと言うと誤解を招くかもしれない。「弱点」だろうか。それは愛情の裏返しだと思って欲しい。私はついついいらない余計な心配をしてしまう。
独り身の時は「石橋を叩いて渡る」という言葉すら無視してきた私だというのに、子どものことになったら心配をしすぎた。彼らの石橋を割ってしまったかもしれないと時々悩む。
他人に自分が渡るべき石橋を壊されたら、それを作り直して渡って行くのはもう大変なことなのだ。
難しいと思っていた2番目の子が社会人となり家を出る時、そのことを私なりにきちんと謝った。もう何年も前のことになる。
ところで子どもの相談はそんなに大したことはなかった。
ちなみに心配していた2番目からではなかった。
ちょっと昔〇〇の倒し方、百獣の王として人気になった芸人さんがいるが、私なんて子どもからラインが来ただけで倒されてしまう。ちょろい母だなと思う。
つくづく親には卒業はない。両親もそんな風に思っていたことがあっただろうか。
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