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題目『にごり』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『にごり』。

  色が。
 たくさんある。。
色が。
  濃い。。

 色が透明でないのは。
「濁り」があるせいだ。。



 "完全な透明" なんて。
あるのかな。。
  程度の違いはあれ。
 「濁り」は。。
 きっとすべてにある。。

 どんなに目の細かい網で「濁り」を濾したとしても。
  "完全な透明" は。。
 造り出せないだろうな。
それは。。
 別に悪い事ではない。
そういうものとして。。
 了解すべきだ。

そもそも「濁り」はあっていいの。



 すべてに「濁り」があるんだから。
"完全な透明" の中では。。
  生命は存在できなくなる。
もっと言うと。
 あらゆる物質は存在できなくなる。。

だから「濁り」はあっていいの。



なんとなくの印象として。
  「濁り」という響きには。。
 良くないモノを感じてしまう。
"あまり綺麗ではない" とか、 "純粋ではない" とか、ね。。

だけど「濁り」はあっていいの。



だいたい世界各地に伝わる "神話" をみても。
  この世界は何かドロドロの「濁り」の中から創られた事になってる。。
 もちろん人間が考え出した "お話" ではあるけれど。
真理を捉えていると思うね。。

やっぱり「濁り」はあっていいの。



人は得てして。
  "完全な透明" であることに憧れる。。

幻想ですな。

 「濁り」は。
時に嫌がられる事もあるけど。。
  神話の始まりの場面からあって。
 すべての物質、生命の根源ともなっていて。。
あらゆる "色" を創り出す。

"完全な透明" に憧れる事は。
 己の存在を否定するようなモノだ。。

ほら「濁り」はあっていいの。

 いや。

 どうしても「濁り」は無くてはならない。



"完全な透明" という言葉を。
 "究極の理想" という言葉に置き換えてみよう。。

いかにして"存在" していくか、
 その方法が。。
  なんとなく解ってくるよ。


『にごり』の中を。
  泥水の中を。。
 転げまわろう。

 気持ちがいいぞ。
それはそうだ。。

 それこそが。

  正しい。真剣な。。
    "存在" する姿なのですからな(ニヤリ)。。。




 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。