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題目『たいとう』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『たいとう』。

巨大な石の群れに囲まれて。
  "満月" と。。
 「対等」に向かい合っています。



 相手と向かい合う時。
  「対等」であることが。。
  いちばん大切な事。

なかなか、に。
  出来ないんだけどね。。


 「対等」っていうのは。
「対等」だよ。。
 「対等」とは。
  "真剣" に向き合う姿だね。。

たとえ、子供に対してだって。
  "真剣" に向き合う時が。。
 「対等」というんだ。
 目線を子供と同じところに持っていこうとするのは。。
「対等」なようで。
  「対等」ではないのです。。

逆に。
 とても偉い人と向き合う時も同じですよ。。
それに見合うように、自分を大きく見せようとしたり。
 必要以上にへりくだったりするのは。。
  「対等」ではない。


「対等」ではない姿で相手と向かい合う、って事は。
  自分を偽った姿で向き合う、という事。。
 失礼だ。
相手に対しても。。
  自分に対しても。

 出来ることなら。
そんな事はしたくない。。

どんな相手に対しても。
 「対等」に、ってのは。。

  なかなか、に。
 出来ないんだけどね。。



どんな事に対しても。
  「対等」に向き合うことが出来れば。。
 いいんだ。

それこそ。。

 "満月" に対しても。
  "太陽" に対しても。。



 よく、"天" って言葉を耳にする。
  大昔から。。
 いろんな時代、いろんな国。
みんな "天" って言うんだ。。

それが。

  一体、何の事を指して言うのか。
 よくわからりませんが。。
ずっと言われてきた。

 "天命" を知る。 "天命" を受ける。。
それが出来る人、出来る時、というのは。
  "天" と「対等」に向かい合うことができる人、時、なのでしょう。。

つまり。

 "真剣" に向かい合う。
  よくわからない "天" なるものに対しても。。
そして。
  何よりも、自分に対しても、だ。。



静かに、静かに、穏やかに。

 巨大な石の群れに囲まれて。
"満月" と。。
  「対等」に向かい合っています。



その時。

はじめて気が付いた。


"満月" が。
  巨大な石の群れに囲まれた者と。。
        「対等」に向かい合っている事に、ね(ニヤリ)。。




 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。