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また1つ削ぎ落とされる

良く、長男が、私の捨てたものを、また取り出して持ってくることがあります。

一度手放した感情を、私は、また余計な事をして、繰り返し味わってしまっているんだな。と想いました。

三女の誕生日に、色々なものが折れる、折り紙をプレゼントしました。
それを長男が持ってきて、作って!作って!とせがむのです。

私はその時はやりたくなかったので、あとでね〜。
と言っていたのですが、一向に長男は泣き止まずにいました。

私は、誕生日だからと、喜んでくれるだろうと、期待をこめて、プレゼントを買っていたんだと想います。

あるいは、母親としての責任感から。

でも、それが結果的には、自分を苦しめる事となっていました。

そんな事を、いつも繰り返してしまうのです。
子供が喜ぶだろう。と想って、欲しいと言われていないのに、
買ってしまう。

誕生日だからと、用意してしまう。

誕生日だからって、特別で、なくて、
そんなの、何も要らなかったんではなか。

と想う。

今回、ケーキの蝋燭に火をつけて、お祝いもしなかったし、
夕飯に、三女の好きなものを特別に用意もしなかった。

食べたい時に、それぞれでケーキを食べて、
夕飯も、私が食べたいな。と想っていた、サーモンクリームパスタを作って、
それで、全然問題なかったし、私は嫌な思いをしなかったし、
食べたいものが食べれて、よかった。

プレゼントなんて必要なくて、
特別なご飯も必要なくて、

何も要らなかったんではないか。と思い知らされた。
(三女は、お菓子をたくさん買ってもらいたい。と言っていたので、
お菓子もあげました。それは用意して、良かったのかもしれない)

誕生日、記念日、を大切にしたい、楽しみたい気持ちがあった。
そんな温かい家族像と母親でありたかったけれど、

それも、違ったのかと、想う。

というか、私がサプライズ的に用意したりする事は、必要ないのかもしれない。
実際、私は、サプライズされる事があまり好きではないんですね。

それより、誕生日、何が欲しい?どうしたい?と聞いてくれて、
それを叶えてくれる方が嬉しいと感じるかもしれない。

なのに、サプライズ的な事をするから、それは、要らないよ!
という事だったのかもしれない。

誰でも、サプライズが好きとは限らないよ。
という事だったのかもしれない。


何度も何度も繰り返してしまう。

私の中に、しっかりと刻まれるまで、続くんだと想う。

また、私の【理想】【思い込み】が1つ削ぎ落とされた気がします。

12月3日、今度は次女の誕生日です。

良い誕生日になりますように☆



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