武蔵国 荏原郡 六郷領 雑色村

出典

新編武蔵国風土記稿(40巻)
大日本名所図会(37巻)
各寺社社伝


村名由来

元々は六郷村の「東郷」という地域。
何時頃からそのように呼ばれていたか定かではない。
由来も定かならぬことだが、「雑色」は「蔵人(天皇の秘書役)」の見習いを指す言葉でもあり、小字に「厨子(モノを仕舞う家具)」があるので、そういう家職・経歴の人が都から下って住み着いたからかもしれない。
※「厨子」の字名は近隣女塚村などにもあり。

小字

上厨子

村の南方
村の南方とはいうモノの、上厨子に在るという「熊野神社」が八幡塚村出村との境にあり、上厨子の記載がおかしいのか、熊野神社が移築されてきたのか定かではない。

下厨子

村の北方

西厨子

村の西方

東厨子

村の東方

天神山

村の北西にあった八郎右衛門という百姓が、天神を勧請したことにより呼ばれるようになったが、山と言うほどの大きさのものではない・・・ということである。

その他

近代に「上雑色」「下雑色」などの字があったと言う

村内施設

大沼用水

多摩川を水源とする、村の乾(北西)にある南堀の分水

榮木用水

同じく多摩川を水源とする南堀の分水で、八幡塚村との境を流れる

八幡社

西厨子のうち、小沼耕地に所在
勧請年代不明、現在の「雑色八幡神社

第六天祠

八幡社より坤(北東)方向に4,5町(500m程度)のところに所在
方向からして、銭湯「太平湯」方向と思われるが・・・実地確認をまて。

御嶽社

東厨子のうち、榮木耕地に所在
鎮座の年代つまびらかならず。
現在の「六郷御嶽神社

熊野社

風土記稿には「上厨子のうち」、名所図会には「海道(東海道)のそば」に所在と記載されている。
何故か旧雑色村の各社は起源がよくわかっていない。
現在の「仲六郷熊野神社

牛頭天王社

東厨子に所在
「牛頭天王社」は「牛頭天王」「スサノオ」を信仰する祇園信仰の神社だが、明治期に「神仏分離」が行われ、仏教側「牛頭天王」が祀れなくなったため、「スサノオ」を主神とする八雲神社、八坂神社などに衣替えされている。
本社は宝暦年間(1751~1764)に住人小宮四郎右衛門が勧請したとされる。
現在の「六郷八雲神社

寶泉寺

東厨子の堤下に所在
開闢定かならず、中興開山祐賢大和尚は寛永9年(1632)に寂している。
現在の「真言宗智山派自性山蓮耀院宝泉寺


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