人に話したくない22歳の経歴。
過去に恥ずかしさがある。人に触れられたくない。言葉に詰まるし、言った日はずっと過去のことや、どう説明すれば相手に届きやすかったのかなどと、引きずってしまう。悪いことをしたわけじゃないのに、引け目を感じる。
相手への伝え方を考えてると眠れなくなる。伝え方の正解がわかるではない。何個も理由はあるし、どれを切り取るかで印象が変わることを知ってるから。
寝起きら心臓ばくばく。寝てて心臓ばくばく。
私は97(96)の代の年齢の通信制大学の二年生です。
正直、経歴を突っ込まれるのが怖くて仕方ない。
今までやってきたことに自信があれば、
見え方も違うのに、そういうわけでもない。
人はなんで?とすぐに理由を聞きたがる。
だいたい初対面で。
そんな人に心開いて話せるわけなく。まして理由なんて一つじゃない時間を取ってしまう。
この質問が来るとわかっていながら、質問されるといつも混乱する。
だからつらつらとここにまとめておこうと思う。
18歳、留年せず高校卒業。
専門職に憧れていたはいいけど、やりたいこと多すぎて、決められなかった。パテシエに、料理人、ホテルマン、鍼灸師、ファッション...専門学校に体験に何度も行った。
何が得意か何が不得意か、何も分かってなかった。
大学や専門学校に行く気でいたけど、将来仕事にしたい専門分野が決まってから好きな時に行けばいいと思っていた。
ヨーロッパのギャップイヤー制度に憧れて実践したかったのもある。
高校卒業後一年間は自由に将来の方向性を決めずにやりたいことをやりながら過ごそうと思った。
日本では、新卒一括採用が主流で大学を卒業する年齢が遅くなると、就職が難しくなることなんて、そんなこと全然知らなかった。
1年の自由な生活、正直ものすごく寂しかった。
特に、所属感が欠如していてメンタル面で生きるのが大変だった。
1年間の生活の中で介護の資格を取るため職場体験に行った時のこと、「18歳で若いなら現場にくるより大学に行って俺らの給料上げてくれ」と直接言われなかったが陰で言われてるのを偶然聞いた。
農家にも興味があって、長野県松本の農園にファームステイしていた。その時に、法政大学社会学部を卒業したおじさんに
「大学に行けるなら、行ったほうがいいよ」と言われた。
その時は、おじさんは農家じゃ大学で学んだことと何の関係があるの?って素直に疑問だった。
周りの友達が大学なり予備校なり、次のステップに進んでる中、寂しさだけが募っていた。
アルバイトもしたけどなかなか続けられなかった。
そんな中24歳で大学受験を目指す友達に興味を持ち、その人が通っていたある大学受験予備校を紹介してもらった。
その時は孤独を埋めたい、所属感が欲しいの一心だった。
予備校に入った時はまるで羊の群れに合流したみたいた感覚に陥った。
卒業してからほとんど同学年の人と関わってなかったから、みんなここにいたの!みたいな感覚。
19歳で入ったその大学受験予備校は、面白い授業で有名な昔ながらの大手予備校だった。
ここで初めて、勉強って面白い、大学向いてるかもって実感した。
実は、高校3年間は勉強アレルギーを発症し、卒業に必要な最低限の勉強以外は全くしていなかった。
勉強アレルギーだったのは、
親が極度に教育熱心で勉強を強要する家庭で育ち、勉強に向き合えないほどのトラウマ的な記憶になっていたからである。
春から本科に通い、英語のSVOの意味すら知らなかったわたしは、スポンジみたいな頭でたくさん知識を吸収していった。
この期間は純粋に楽しかった。
大学行かなくていいくらい楽しかった。
予備校には教養的な考え方を教えてもらった気がする。
初めて自分のために勉強している感覚を知った。
翌春、20歳。
合格したとある大学の建築専攻に進んだ。
建物の見た目のかっこよさより、行動心理学に基づいた福祉施設や家の建設に興味があった。
悲惨な家庭で育ったので、いかに人の行動を決める環境が大切か分かっていた。
環境を変えたい、人の行動を変えたいと思った。
でも、入ってみてからはミスマッチの連続だった。
大学に入ってからはサークルを何個も掛け持ちし、充実した日々を過ごしていたいたが、
建築の、必修授業のクオリティの低さに驚いた。
80人いる生徒を同じ教室中に詰め込み、その中でスターを一人出すという、その学科自体の精神性にもうんざりしていた。
抑圧的な教授、授業形態の適当さ。だまってる主体性のない生徒。民主主義の破綻してた。
朝9時から週6日必修授業があったが、どれも知識というにはわびしく、ここにいても何も学べないと思った。
そして何より、まっすぐに線を引くことに魅力を感じないことに気がついた。
好きだった建築自体も考えるのも嫌になった。
入学式の時、学費が高いことに対して親は、「しっかり教えてくれるんだろうね」と言っていたが、真逆でその言葉を思い出して、何とも申し訳なくて胸がチクリと痛い日々。
こんな授業にお金を使うなら
他のことに使ったほうがいいと思うようになった。
もともと大学受験をする時から海外の大学へ行く、という選択肢も自分の中であった。
大学受験の勉強をしながら、海外大の受験について留学カウンセラーに、相談しに行ったこともある。
もう日本にはうんざりだ!海外に行きたい!という湧き上がる気持ちが抑えられなかった。
大学を辞めて浮いたお金で別の海外大か、別の大学に進学すること考え大学を辞めた。
この頃には受験勉強に向き合っていたからか、専門学校に行くという選択肢は自分の中から消えていた。
でもここで親との間にトラブルが発生した。
説得し続けたが、一筋縄で留学費用を出してくれなかった。
だんだんその説得をしているだけで時間が過ぎていくことに焦りを感じ、日本の通信制の大学に進学することした。
通信制の大学は学費がかなり安い。自分で払えるほどだ。
専門分野を決めて失敗した経験があるため、凡庸性がある法政通信の経済学部を選んだ。
21歳で入学し、
現在22歳の二年生である。
必ずというほど年齢や学年を突っ込まれてしまう。
背負った十字架はでかいと感じてる。
通信制大学も卒業難易度の高い大学に入っているので、2年生だけど、取得単位は47単位ほど。
編入するにも単位がうまく移行できず一年生から。
しっかり勉強できるからいいじゃんと自分を鼓舞しつつ、
まだまだ4年での卒業が見えていない状況である。
かなり独学での卒業は厳しい気がする。これを考えると夜も眠れない心境になる。
全然計画通りになんていかない、、通信制大学の卒業は孤独感が強く、予想以上にハードモードだ。
わたしはよく人から生きづらいね!と言われてしまう。
それを言われてどうしろと...自分以外生きたことないからわからないよ!と困ってしまうのだが、オーラとして溢れてる何かがあるのかもしれない。
前途多難、自分で決めた道が、日本では通用しなかった。
前しか向けないし、後ろを向くと言い訳や理由探しをしてしまう。
本当は自分の選択に自信を持ちたい。
就活のこと、大学卒業できるのかってこと、
開き直って人に話せるようになるのは、まだしばらく先になりそうだ。
人に職業を聞かれたときに、とっさに
”大学生”
と答えることが多い。
これは、周りの友人が大学生だし
仕事も非常勤(アルバイト)でしかしていないからだ。
大学生といえばあまり深く話をしなくても済むし、
感覚的に、大学生である。
でも果たして25歳になったときに4年間で大学を卒業できているかわからない。
通信教育の大学では、計画は立てても予想がつかない。崩れてしまう。
あくまで“大学生”という肩書は、
肩書のまんま、非常勤(アルバイト)として
勤務しているところの話を第一にするべきだと考えるようになった。
今は、大学生?と聞かれれば、大学生と答え
なんの仕事してるんですか?と聞かれれば、放課後デイサービス(学童)で働いてます。と言う。
回りくどくてめんどくさいのだけど、、
学生と社会人、どちらも当てはまる。
いい時に適当に選んで使う、みたいな。
変な感覚である。
同級生が新卒一年目、
22歳で大学二年生だと言うと
人生詰んだwwwwwときっと思われてしまう。
顔をしかめられたら、心配されたり、、
前を向くしないけど、人目を気にしてしまうからしんどい、、
はやく30歳に近づきたいと思う。
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